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ニューヨークタイムス「日本の検察捜査」

ツイッターで、何度も、ピックアップされていたニューヨークタイムスの検察関連の記事を自分で読んでみることにした。Martin Fackler署名。

これはFTの記事に比べれば、かなり、旧体制の免疫システムである検察がなりふりかまわず、日本の旧体制を制圧する小沢氏を倒そうとしているというトーンが強い。

しかも、その中で、メディアが、お先棒を担いでいると、かなり手厳しい。仲間のメディアからのこういった批判に、日本のメディアもきちんと答えるべきじゃないのだろうか。

批判されて久しい記者クラブ制度についても、日本のメディアとして、きっちりと整理すべきじゃないのだろうか。

引き続き、日本の新聞というのは国民が政治的統合(対立のある政治的問題に対して、決着をつけていくこと)のためには不可欠な仕組みである。だからこそ、海外メディアにこんなにひどく言われて、言われっぱなしでいんだろうかと思ってしまう。海外メディアの日本報道がすべて正しいはずもない。ただ、彼らが、(外国の思惑はあったとしても)国内のしがらみからは比較的自由に書き放すというところに価値がある。

日本のジャーナリストの反論を期待する。(粗訳したものを添付しました。原文もご確認ください。)


In Japan’s Scandals, a Clash of Old Order and New
日本のスキャンダル、新旧体制の対立

http://www.nytimes.com/2010/01/20/world/asia/20japan.html?ref=asia&pagewanted=print


国家において生じる典型的な政治スキャンダルにおけるすべてのネタが今回もすべて含まれている。建設会社から受け取った札束、後ろ暗い土地取引、強力なボスの身代わりだと広く見られている険しい表情をした政治的側近の深夜の逮捕などなど。

今回の検察による政治資金に関する規則違反に対して展開されている、与党の大物小沢一郎に対する捜査は、この国のもっとも剛腕な政治家で、新しい改革派のリーダーと、戦後権力体制の中でももっとも強力な組織である検察庁との間の公開のバトルであるということで、国中の関心を引きつけている。

この国の制度が変化することの兆しの中で、この対立の行き詰まりは、いつもとは違うパターンの批判の声の奔出を招いている。今回は批判が小沢氏だけではなく、腐敗した企業経営者や政治家の天敵として長く社会から賞賛されてきた少数精鋭の検事たちの巨大な裁量権にも向けられているのだ。

検事たちが、(社会正義とは)何か別のものを守っているのではないかということへの疑問もまた提起されている。

すなわちこの国の停滞した現状維持勢力であり、強力な権力を有するが、ほとんど説明責任をもたない官僚制度に対する批判だ。

そして小沢氏の民主党が昨年夏に自民党の長期政権を破ったときに打倒を誓ったのが、まさに、この官僚制度だったのである。

元検事の郷原信郎氏は次のように語る。

「このスキャンダルは、日本の民主主義を危機に陥れている。このスキャンダルは官僚システムが、自分に対して挑戦してきた、選挙で選ばれたリーダーから自分を守るために反撃したものなのだ。」

最新の動きは週末に起こった。検事は一人の民主党議員と小沢氏の元秘書二人を逮捕した。

小沢氏は、民主党の歴史的勝利の設計者であり、謎につつまれた、練達の密室政治家である。

今回の捜査は、検察官たちによって行われている民主党リーダーたちに対する一連の捜査の中の最新のものである。

一連の捜査の中には先月行われた、鳩山由紀夫首相の政治資金の報告義務違反が含まれている。鳩山氏への捜査によって新米政府に対する世論の支持がかなり弱まった。

しかしながら、過去において訴追された政治家の多くのように、弱々しく謝罪を繰り返す代わりに、民主党は反撃を開始した。週末に東京で行われた民主党大会において、小沢氏は、検察庁との全面対立を叫んだ。


歓声を上げる聴衆に向かって、小沢氏は次のように言った。

「我々は絶対にこういったやり方を認めることはできない。こういったことがまかり通るのならば、日本民主主義の未来は暗い。」

多くのものにとってさらに衝撃的だったのは、鳩山氏が小沢氏に与えた支持発言だった。鳩山氏は、検事たちに対して政治的コントロールを行使する法的権限を有する首相なのである。この権限は第二次世界大戦後一度だけ時の首相によって行使されている。


「私は彼を信じています。どうぞ戦ってください。」と鳩山氏は言った。

鳩山氏は後に捜査に影響力を行使しないことを約束した。政治専門家たち、この発言がほぼ確実に世論からの厳しい反発を被るであろうと述べている。とはいえ、こういった民主党の側からの抵抗は、学者やニュースメディアの一部で広まっている、検事たちは、民主党が官僚をコントロールするという公約をしたことや、法務省に属する検察庁が、まさにこの官僚システムの根幹となる、強力な組織であるという理由から、民主党に対して仕返し(vendetta)を行っているのだという検察批判を力づけた。

郷原氏やその他検察に批判的な人々は、古い政党政治の名人小沢氏を擁護するというよりは、検事たちによって適用される選別的正義を批判しているのである。検事は、これまでも、日本の戦後体制に対する挑戦に対しては厳しく、体制の内部者には寛大だったのである。

こういった疑惑は昨年の初めごろから強まっている。当時、政治資金規制法違反への初期の捜査によって、重要な衆議院選挙の直前に、小沢氏は民主党党首から辞任するまでに追い込まれた。検察に批判的な人々は、検察が西松建設から資金を同じく受け取ったにもかかわらず。自民党議員の追求を行わず、小沢氏だけを追求したことを指摘している。

そして二番目のスキャンダルが約1ヶ月前に起こった。政治の専門家の中には、小沢氏に対して繰り返される捜査は、検事たちが、日本の体制に対する一種の免疫システムとして機能していることを示しているという意見もある。彼らが、小沢氏が、政府民主党の財布をほぼ完全にコントロールし、過剰な権力を集めることを恐れたために、今回の行動に及んだと見ているのだ。

また1970年代の小沢氏の師匠田中角栄首相の逮捕に遡る何十年にわたる検察との確執を指摘するものもいる。こういった見方によると、検察庁は、昨年、おざわしが、民主党の中に特別委員会を設立し、首相が検察に対してより多くのコントロールを行使することを要求しはじめたことが、恐怖だったのだということになる。


「検事たちは小沢が日本を自分の個人帝国に変えようとするかも知れないことを恐れたのである。」と慶応大学の政治学者小林良彰は言う。

議論は、日本の2600名の検事たちに対する普通ではない公的な精査にフォーカスしていた。

日本の検察は、米国やその他の西側民主主義の司法制度とはかなり違った勢力だ。検察庁は、誰に対して何時調査を開始するかを決める権利だけではなく、告訴以前に、容疑者を逮捕し、拘留する権利も持っている。これによって彼らは実質的に、警察、法務大臣、そして裁判官の力をひとまとめにしたほどの権力を持つことになっている。

検察は、伝統的に、超難関である日本の司法試験に合格した一握りの若い法学生から選ばれてきている。彼は、また、容疑者の職場や自宅への突然の家宅捜査で有名である。家宅捜査の数分前に与えられた情報で勢揃いした大軍の記者とカメラマンの前を断固とした様子で、ダークスーツを見にまとった無表情の検事たちが行進するあの風景だ。

実際、メディアの専門家たちは、検察は大手のニュースメディアとの密接な関係を享受しているという。こういった関係の結果ニュースメディアによる今回の小沢氏の捜査に対しては概ね好意的(Positve)な報道が行なわれている。

ニュース報道は、検察からのリークに基づいて予測可能なパターンのストーリーに従って行われている。たとえば検察が小沢氏が東京の土地に投資することによって隠そうとしていると思っている4億円に関する詳細事実が、ニュース報道の中では現れてくる。

こういったことに憤激した、民主党議員は、報道に影響を与えるための検察のリークの利用を調査するための議員のチームを組織することによって反撃することを誓った。

“This scandal shows how much the new administration is making waves,” said Mr. Gohara, the former prosecutor, “but also how the old system will fight back.”

「このスキャンダルは、新しい政権がどれだけ大きな波紋を引き起こしたかということや、どのように旧システムが反撃するかを示している。」と元検事の郷原氏は語った。(以上)