21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

散歩にツイッターはいらない

今日は東京は一日天気も良く、寒くもなく、だから、午前中から気まま散歩に繰り出した。はじめは、目黒権之助坂界隈の散歩。目黒シネマの麻生久美子二本立てに心引かれたが、ナントカ沼っていう妙な方からの始まりだったので、やめて、五反田の方に向けてぶらぶら歩いた。途中のカフェで、ぼくは日経新聞をじっくりと赤線を引いて読み、連れ合いは司馬遼太郎の酔って候を読んでいる。

日経新聞をじっくり読むようになったのは、民主党が政権を取ってからだ。投票したものの責任というのを勝手に感じて、民衆党の舵取り、野党の反論、マスコミの論調を批判的に見てやろうという高らかな野心だ。

読み終わった新聞をカフェのゴミ箱に捨てると、「捨てるんだったらなんで赤線引くの?」という当然な質問。いつのまにか、まじめにモノを読もうとすると、アンダーラインを引かずにはいられなくなった。

当然、散歩だから、PCは背負ってないし、スマートフォンももってないから、ツイッターも、ブログとも無縁だ。

iPhoneやドコモのアンドロイド版やら、スマートフォンには少々心が惹かれるが、いつもやっぱりやめようと思い切る。

新書や文庫を読む時間がなくなるのが困るからだ。おそらくスマートフォンは、そういった読書の時間を奪ってしまい、ぼくが、これまで、自分の頭でモノを考えるために行ってきた唯一の訓練だった読書という行為を劣化させてしまうはずだからだ。

ぼくのインプットは決定的に劣化するはずだ。情緒的ではなく、具体的、実務的にぼくはそのことがわかる。

そういった予期に基づくラッダイド運動として、ぼくはスマートフォンを買わない。(多分)

今日は、五反田から乗ったJRの中や、上野のみはしでお雑煮が来るのを待つ間や、東京駅から乗った丸の内線の中で、飯田泰之さんの「ダメな議論」を読み終えることができたし、その中の現代若者論批判に触発されて買った本田由紀さんの「教育の職業的意義」を読みはじめることもできた。

スマートフォンを手にしたら、間違いなく、この中の時間のかなりの部分は、ツイッターのTLのチェックや、Tweet書きに消えていくはずだ。これは絶対にまずい。

かくして、かなり長い、だらだらの散歩を終えて、帰宅したぼくは、そそくさと、PCを開けてツイッターをチェックした。

ツイッターおそるべし。