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懐疑主義のすすめ

いまのところツイッターは、ぼくにとっては発信ツールというよりは、皆さんのつぶやきを、ヘッドラインニュースのようにとりこんでいる方が多い。今日も、池田信夫さんがつぶやいたBBCのJustin Rowlattという記者が書いたin praise of scepticismを読んだ。なかなかイギリスらしいコラムで面白かった。(池田さんありがとうございました。)

http://www.bbc.co.uk/blogs/ethicalman/2009/12/in_praise_of_scepticism.html

簡単に要約すると、最近Scepticという言葉は濫用され気味。たとえばclimate sceptic(地球温暖化論に対して懐疑的な人)。
でも懐疑主義は健全な本能であり、より称揚されるべきもののはずだ。

英国という、来年350周年を迎える世界に冠たる科学の殿堂ロイヤルソサエティを擁する国にいる我々は幸運だ。

ここのモットーは、nullius in verva、すなわち"take nobody's word for it"であり、まさに懐疑主義の大憲章とでもいうべき言葉だ。

健全な懐疑主義こそ、良質の科学の基礎となる。

広く受け入れられいる真実に対して疑問を呈し、自明視された叡智を疑い、自分自身で調査するという衝動こそが、科学的探求の基礎。

だからこそ気候の科学に対して懐疑的な人々を非難しないようにしよう。
彼らが、それを論証する努力を怠らない限りという条件づきではあるが。

世論調査によると、英国の国民の半数が、地球温暖化は、人類が引き起こしているということに納得していない。

ある環境主義者の考え方への理論的疑問をブログに書くと、環境主義者から反撃のメールがあった。

この記者の意見に対して何ら反証することなく、このような主張は発表されるべきではないと、あたかも異端審問のような論調で、さすがに彼もショックを受けたという。

自分の予想(preconception)に反する証拠を抑圧しようとする本能は、極めて危険である。環境変化の科学に透明ではないという兆しが一つでもあれば、当然人々の懐疑心は増すことになるだろう。

科学的な方法で、議論をすすめることによって、達成される納得感こそ重要なのであり、それを実践するのが科学でありジャーナリズムだという内容でした。

最近、日本のジャーナリズムの怖さのようなものを日々感じるのですが、そんな際にもなかなかすっきりとするコラムでした。