21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

朝飯前にオンライン

しかし、この高温多湿だけはどうかならないだろうか。今年の夏は、湿度にいためつけられている。湿度と空調のあいだで、身体が七転八倒している感じだ。

ニューヨークタイムスの「朝飯前のオンライン」という記事を読んだ。

Breakfast Can Wait. The Day’s First Stop Is Online

http://www.nytimes.com/2009/08/10/technology/10morning.html?_r=1&ref=technology&pagewanted=print

はっと気づけば、新しい通信テクノロジーが、自分の家庭の風景を変えてしまっているという話。インターネットサービスプロバイダによると、米国のインターネット使用が朝方になってきているらしい。たしかに、父親は、ブラックベリーで海外の同僚からのメールを確認し、母親は、地元のNPOからの連絡事項をメールで確認し、子どもたちは、携帯のテキストメッセージや、フェイスブックでのメッセージを大いそぎで確認する。朝の団欒という風景が消えていくというような若干センチメンタルな感じの記事だ。まあ定番といえば定番だが、こんな一節がけっこう好きだった。

This is morning in America in the Internet age. After six to eight hours of network deprivation — also known as sleep — people are increasingly waking up and lunging for cellphones and laptops, sometimes even before swinging their legs to the floor and tending to more biologically urgent activities.

(これがインターネット時代のアメリカの朝だ。6時間から8時間のネットワーク接続を失った状態の後に(別の言い方をすれば、睡眠という)、人々は続々と、目覚めはじめ、足を床に向かって踏みだしたり、より生物学的に緊急性のある活動に向かう前に、携帯電話やラップトップに向かうことになるのだ。)

このnetwork deprivationという硬質な言葉がぴったりの、感覚を、ぼくも感じるようになっている。ラップトップのスクリーン上で情報処理をしつづけた後に感じるシナプスが焼け焦げたような感じとか、なんともいえないBurnした感覚。疲労感の質が、コンピュータ社会になって変わったと思う。睡眠という接続性の喪失状態から回復したとたんに、強迫的に情報を追い回す子供たちの未来を、ペシミスティックに嘆く気はない。でも、その未来は、随分、違ったものになってしまっているのだろう。実際、気づかぬうちに、ぼくたちの現在の中にも、そういった未来は静かに浸透しているのだろう。ぼくたちが言葉にできない不安感、疲労感を感じるということは、いままさに、僕たちの肉体を未来が加速度的に変化させているということなのだ。