21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

天体観測

皆既日食は、雲の中で終わってしまったらしい。ベストスポットの奄美大島は、暴風雨でそれどころじゃないようだ。高校の時の友人に天文少年が多かったこともあって、一時期は、高性能双眼鏡を使って、天体観測をした時期もあったが、基本は、交際術としての天体観測だったようで、めっきり関心がなくなった。

天体観測のおかげで、ちょっと助かったこともある。

20年近く前、日本の会社を辞めて、明日なき青春というぐらい働いた時期がある。あげくの果て、かなりひどい不眠症になった。不眠症どころか、閉所恐怖症というか、まわりの空間からの圧迫を感じて息苦しくなるくらいだった。

地下にある、混雑した居酒屋なんていうのは最悪で、つきあいで酒を飲みながら、脇の下に冷や汗が流れるくらいだった。

当然、映画館などというものを怖くて入れなかった。

手あたり次第、リラクセーションや、不眠症用の音楽などを試したが、気にすればするほど、身体の内側で、何かが硬く凝固していき、不眠状態を悪化させた。

かなりお手上げだったわけだ。

夜だけならいいのだが、しまいには、日中も、集中力が欠落するようになった。

そんなある日、オフィスを日中抜け出して、街を散歩した時のことだ。

ある映画館の前を通りかかると、ジョディー・フォースター主演の「コンタクト」という映画の看板があった。カール・セーガンが書いた宇宙生命体とのコンタクトについての小説の映画化だった。当時、かなり話題になっていた映画だった。

看板の大きなフォースターの顔の後ろに広がる星空の絵を見ながら、この映画だったら閉塞感に陥らないかも知れないと思ったのだ。

その直感は正しくて、スクリーン上に大きな夜空が描かれるこの映画の間中、いつもの閉塞感は嘘のように消え失せていた。

この映画のおかげで、不眠症が嘘のように消えたというほど、現実は単純ではなかったが、なんとなく、その日感じた、ちょっとした安堵感をてこにして、状態は回復したような気がする。

そして、最後には、本屋で立ち読みした森田療法の、「眠れない時は無理に眠る必要はない。寝ないからといって死にはしない。」というようなぶっきら棒な文章に出遭うことになる。

そうか、眠れない時は無けりゃいいんだ。

一種の覚醒で、そのあと、薄皮をはがすように、僕の身体の内側にこびりついていた硬い異物がなくなっていった。

そういう意味では、天体観測が嫌いなわけではない。天体観測という曲も好きだし、古い友人間のメール交換網の中で、古えの天文少年たちが、活発に交換する天体観測話にも5回に1度くらいは、合いの手ぐらいは入れている。

暗闇の中に広がる星空は、多分、一度か二度は、人生の危機のようなものを救ってくれる力があるのかもしれない。