21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

2005年の松井秀喜

松井のNYTの記事を読んで、ちょっとさみしくなって、ブログの過去のアーカイブを眺めていたら、2005年の8月。まだ元気いっぱいの松井秀喜が、MLBという神話世界の中で輝いてた頃の自分が感動しまくっているブログがあった。


メジャーリーグベースボールという快楽
エンジェルス戦で、松井秀喜がサヨナラヒットを打った。昨日、エンジェルスのルーキーのサンタナという投手に腿の内側にデッドボールを受けたせいで、指名代打で出場だ。足の調子はあまり良くないようだったが、最終回、見事に逆転サヨナラ弾を打った。

週末の午前中に放送されるMLBの試合は、長く忘れていた野球というものへの愛情を思い出させてくれる。ぼくたちの世代は、やはりサッカーではなく、野球だった。強い巨人軍を中心とした多くの物語にぼくたちは熱狂した。野球という物語は、高校野球六大学野球も含んで、豊かな広がりを有していた。

いつごろからだっただろう。ぼくの野球に対する愛情が薄れていったのは。テレビで繰り返される野球の試合に、感動を感じなくなっていった。


高校野球で言えば、松阪の甲子園が、感動やドラマを楽しませてくれた最後だった。

野球が好きだったということを思い出させてくれたのは、野茂だった。単身、渡米して、メジャーリーグの強打者を、変則フォームから繰り出す、剛速球と変化球で、ねじ伏せた。ロサンジェルスドジャーズのNOMOMANIAと呼ばれた大ブームに、日本人としての誇らしさを感じた。

そして、シアトルへと渡った、佐々木、イチロー、長谷川。

とりわけ、投手以外の選手が加わることで、ぼくたちのMLB観戦に継続性が生まれた。毎日、イチローが出ているということの持つ意味は大きく、日々の結果に一喜一憂することになった。当時のマリナーズは、プレイオフで上位をうかがうパワーを持っていて、ロドリゲス、ブーンなど、イチローの僚友たちや、監督のルー・ピネラなど、日本人にとってのMLBという物語が豊かに広がりはじめた。

そして松井秀喜である。

ニューヨーク・ヤンキーズという、金にまかせて、超一流選手を集めまくるトップチームで、クリーンアップを占め続けるというドラマ。

レッドソックスとの球史にも残りそうな激戦。ぼくにとってのMLBという物語は次の段階を迎えた。松井の渡米後、ぼくは、インターネットで、NYポスト、ニュースディなどのタブロイド誌や、NYタイムス、MLBのホームページなどで報じられる松井の活躍を読み漁るようになった。MLBの快楽だ。

その後、ライアーズポーカーの人気作家、マイケル・ルイスが、金満球団を尻目に、独自の選手評価システムによって、低予算で、プレイオフの常連になったオークランド・アスレチックスの内側を描いた「Moneyball」がベストセラーになった。米国の統計好き、方法論的志向性など、金融出身のマイケル・ルイスがビジネスとしてのMLBの全貌を描いた。野球トリビアへの偏愛と、プロ球団の科学的経営の思想的つながりが明らかにされた。

映画が映画評論を肥料として、神話的なオーラを撒き散らせて行くのと同じ、メカニズムで、こういった枝葉で広がっていく、野球という物語。

冷泉彰彦という米国在住の作家が、「メジャーリーグの愛され方」(NHK出版 生活人新書)という本を書いた。米国に住み、息子のリトルリーグ運営にも積極的に関わった作者は、リトルリーグに始まる米国野球の世界を描いている。MLBという物語を最大限に愛するために必要な基礎的理解をさせてくれる好著だ。とりわけ、1978年の伝説のシーズンを日本のテレビで観戦し、それを、ニューヨーカーたちと語り合うという特権的な立場から書かれているだけに、その説明にも血が通っている。

ヤンキーズにとっての1978年という伝説のシーズン。1962年以来14年間遠ざかっていた優勝を、1977年に遂げることから伝説は始まる。登場人物は、闘将ビリー・マーチン監督と、若いオーナー、ジョージ・スタインブレーナー、そしてアスレチックスから移籍してきたフルスイング男の主砲レジー・ジャクソン

この個性の強い三者がぶつかりあいながら、1978年の伝説は展開していく。

優勝を争ったのは、宿命のライバル、レッドソックス。当時、ボストン球団を率いていたのは、昨年の遺恨試合で涙の会見をしたあのドン・ジマー

監督と、オーナーの対立。オーナーが擁護するジャクソンと監督の対立と、一触即発だったチームを支えたのは、人格者のサーマン・マンソン捕手。

対立はピークに達し、シーズン途中で、マーチン監督は解任されてしまう。しかし、ファンは、ビリー・マーチンのファイティングスピリットむきだしの指揮を愛してやまない。マーチンの後任として、クールなボブ・レモン監督が指揮をしだしてから、奇跡が開始する。

小柄な左腕のエース、ロン・ギドリーがこの奇跡を演出する。ともすれば、崩壊しそうなヤンキーズを彼の快投が支えていく。

そして、最終戦を終えて、ヤンキーズレッドソックスは99勝63敗で完全に並んでしまった。

本来はプレーオフへの移動日だった10月2日に、一戦でシーズン全体の勝敗を決めるワンディプレーオフを行うことになった。

舞台はコイントスの結果、レッドソックスの本拠地フェンウェイパーク

投げるのは連投のエース、ギドリー。劣勢の中でもギドリーが耐え、0対2で迎えた7回表。冷泉さんの描写によるとこんな風になる。

奇跡は七回の表に起きました。後に読売ジャイアンツに入って大リーガーの風格を示したロイ・ホワイト(今のヤンキーズの一塁コーチ)が安打で出塁して走者が二人となりました。バッターはショートのバッキー・デントでした。このシーズンのデントの打撃は決して目立っておらず(打率は二割四分そこそこでした)、ヤンキースのファンの中にはどうして代打を出さないんだと思った人も多かったそうです。そのデントは、そんな心配をよそに、一振りで劣勢だった試合をひっくり返しました。有名な「グリーンモンスター」という左翼側にある大きな緑色の壁を越えるホームランを打ったのです。ヤンキースに奇跡が、そしてレッドソックスに「呪い」が降ってきた瞬間でした。

去年、レッドソックスがニューヨークヤンキーズに3連敗してから4連勝し、「バンビーノの呪い」をうちはらって、ワールドチャンピオンにまで駆け上がった前の年、ヤンキーズが松井の活躍などもあり、ディビジョンチャンピオンシップで、アーロン・ブーンの劇的なホームランで勝利した時に、確かに、アナウンサーは、バッキー・デントのことを連呼していた。アーロン・ブーンのシーズンでのそこそこの成績と、その劇的なホームランは、まさに1978年のバッキー・デントにかぶって、ニューヨークのファンはその豊かに生成しつづけるベースボールという物語に酔ったのだろう。

イチローの偉業に比べて、ぼくたちが、松井の苦闘や活躍に興奮するのは、松井秀喜がこうしたニューヨークの黄金時代へと繋がる豊穣な物語の中のまぎれもない登場人物となっているからなのだろう。松井を通じて、ぼくたちは、こういったMLBの過去、現在、未来の物語の網の目の中に絡め取られるという快楽を享受しているのだろう。

ニュース番組でくりかえされる、松井の逆転サヨナラヒットのシーンを、何度も見ながら、そんなことを考えていた。