21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

最近はPodcastよりは文庫本

新しいメディアが登場すると、人間のライフスタイルがどう変化するかは、当初はなかなか想像しにくい。

大体において、限られた情報と想像力に基づいた話なので、大したことが思い浮かばなくても当然かもしれない。ただ、何年か経ってみると、びっくりするほど生活は変わっている。

携帯電話がない時の、デートや、仕事がどうだったのかということの記憶さえ、少々、薄れてきている。今があたりまえになると、以前の方が驚きに感じられるという倒錯が生じる。

ただ、最近の技術進歩の中で、ひとつだけ確実なことがある。

テクノロジーやメディアの爆発の中でも、1日は24時間だということや、起きていられるのはその3分の2程度だし、頭がすっきりしているのは、せいぜい10時間程度という冷厳な事実だ。

だから、頭がすっきりしているこの10時間をどううまく使うのかという話になる。

新しいメディアと古いメディアの間で、行きつ戻りつしながら、ライフスタイルが変化していくというようなことを前にブログで書いたことがある。

具体的にはこういうことだ。

最近、めっきりiPod視聴時間が減った。理由は、地下鉄や、喫茶店などの空いた時間に、本を読むことが増えたからである。通勤時間にPodcastを聴くことが多かったから、その時間に本を読むことが多くなると、めっきり、僕のiPodは聴いていないマークだらけになってしまう。

じゃあ、なぜ、最近、地下鉄の中で本を読むことが多くなったか。

ここ、しばらくは、ウェブの中に、ブログの材料を求めてきた。それに若干、一巡感を感じてきたことも事実だ。さらに、書き続けると、やはり自分なりのロジックというものを求めるようになり、そういったじっくりとしたChain Readingの対象として、ウェブのコンテンツに少なくとも、今のところは、飽き足らなくなってきている。

そうなると、ウェブの世界だけをとってみても、リアルタイムの表層をひたすら拡散する動きだけでなく、より古層へと沈潜したくなるし、さらには、そういった長時間のReadingという観点から見ると、旧式の書物メディアの圧倒的な生産性を意識せざるを得なくなる。

そんなこんなで、ここしばらく、地下鉄では、文庫や新書、場合によっては、ハードカバーまでに読みいることになった。

スタバの時間はと言うと、PCを広げて、ブログを書いたり、コラムを訳したりするのに、使わなければならない。元来、iPodを聴きながら、本を読んだり、モノを書いたりするのが出来ない体質なので、ここでもiPodは押し出されてしまった。

まあ、ずっとこんなことが続くわけでもないのだろうが、いくら新しい技術やメディアが、理論上利用可能なコンテンツの量を拡大してくれたとしても、1日の時間は限られているし、24時間コンテンツのReadingに費やすことは、物理的にも体力的にも無理なので、こういった陣取り合戦は何らかの形で起こり続ける。

面白いのは、こういった行きつ戻りつの行程の中で、どの時間、どの場所では、何を使って、何をするかという整理整頓や棲み分けが、急激に行われてきていることだ。

大袈裟に言うと、時計が出来て、産業革命や近代が可能になったのと同じような、文明史的な影響を、コンピュータや、インターネットが人体に強いているのかもしれない。

こんなことを考えると、自分が、新しいメディアと、具体的にどのように関わっているかを、それなりに緻密に記録することにも一定の価値がありそうだ。