21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

クックパッドあるいは、グーグルの補完財戦略という信憑

西新宿に、コクーンタワーというちょっと目を引く新しいビルがある。東京モード学院という会社の拠点があるらしい。北京オリンピックの鳥の巣ほど、悪趣味かつ無責任じゃない感じだが、ちょっとそのざらざらとしたテキスチャーに触れたくなるような建物だ。

ところで、コクーンタワーの話をしたいわけじゃない。その地下にブックファーストが大きな店舗を作った。仕事の関係で、この界隈を動き回ることが多いので、ぼくの動線の中にしっかりと組みこまれている(というか彼らの動線にぼくが誘い込まれているというか)ので、ほぼ毎日、この書店の新刊と雑誌と文庫の棚を通り抜けている。特に、新書や文庫の棚をちらりと眺めるのが習慣になった。

昨日、新書の新刊の棚にちょっと気になる本があった。

上阪徹『600万人の女性に支持される「クックパッド」というビジネス』角川SSC新書(2009)

立ち読みついでに買って、移動の地下鉄の中で読み始めた。

クックパッドという、月間ユーザーが616万人(2009年3月現在)という巨大お料理レシピサイトだという。全く知らなかった。慶応SFC出身の創業者の社長さんが、1997年から営々と、料理をする人を楽しくするためだけにフォーカスし、そういったユーザーを快適にすることだけを主眼に自前のウェブテクノロジー(接続性、検索技術)を使って努力を続けてきたのだという。

ベンチャーキャピタルや買収の誘いにも乗らず、苦節10年、多くの食品会社にとって、単なる広告メディアにとどまらない、一種の商品開発、マーケッティング空間になっているという話だった。
クックパッドがユーザーに提供している代表的な機能はわずか二つだけ。「料理レシピを載せること」「料理レシピを探すこと」。

この二つに特化し、二つに徹底的にこだわってサイトを展開している。

現在ユーザーから投稿された写真入りレシピ数は50万件に達している。PCを開いてみると、たしかにシンプルだが、なかなか情報量が多く、クリックに対するレスポンスも速い、ソリッド感漂うサイトだった。

アクセスのピークは毎日十六時頃、夕飯の買い物の前後だという。一種の「食卓の意思決定メディア」になっているらしい。

600万人ものユーザーによるクックパッドの利用頻度も、非常に高い。ほぼ毎日が65.5%、週に3,4回が21.5%、週に1,2回が9.6%と、96.6%の人が週に一度使っている。

そしてユーザーの96.5%は女性。

可読性を考えて、テキストは20文字前後に限定しているというのは、ちょっとツイッター的な発想なのかもしれない。

創業者たちの経営哲学や、自前のテクノロジーと連動したUser experienceへの徹底したこだわりなど他にも面白いところはたくさんあった。

最近、クラウドの費用というようなことに関心がいっているぼくは、こんなところが気になった。

「ちなみに創業期以来、クックパッドは一度たりとも、サイトの宣伝広告を打ったことがない。すべて口コミで始まり、今に至る。むしろ創業期は、新たに入ってくるユーザーをいかに増やさないかに佐野は苦心していた。アクセスの増加に合わせてサーバを増設する費用がなかったからである。アクセスが増えると、サーバーがダウンしてしまう。一時期は、検索エンジンの上位に登場しないよう、技術的な工夫をしていた。」

多くのいまどきのウェブサービスのビジネスモデルはまだ不確定である。収入は生み出し始めてはいるが、それが、過大な期待にこたえられるほどの急成長を遂げるかどうかは、まったくわからない。remain to be seenという英語が多用されるわけだ。

しかし、費用の側だけははっきりしている。ユーザからお金を取ろうが取るまいが、サービスプロバイダは、インターネットというものを利用するためには、インターネット接続費用もかかるし、サーバも買わなければならないし、そのサーバの置場も借り、電気代も払わなければならないのだ。トラフィックが増えた増えたと喜んでいても、それは、コストが確実に増大していくことを意味するにすぎないのである。

本当にこのサービスを必要とするために、グーグルに見つからないようにしたというこの言葉は、まさに、最近のウェブサービスの現実をあらわしている。

最近気に入って、良く読んでいるTechcrunchというウェブサイトにまた、フェイスブックやリンクドインの企業価値評価についてのコラムが載っていた。
http://www.techcrunch.com/2009/06/29/sharespost-report-facebook-worth-4-billion-linkedin-15-billion/?awesm=tcrn.ch_4rC&utm_campaign=techcrunch&utm_content=techcrunch-autopost&utm_medium=tcrn.ch-twitter&utm_source=twitter.com

インターネット企業のIPOや買収の件数が減少したせいもあって、創業者や従業員が持ち株を流通市場で売却するケースが増えているらしい。そんなこともあって、未公開株式の評価レポートのニーズが出てきている。そのニーズに対応してSharesPost という未公開株式取引サービスが、未公開企業の評価レポートを出し始めたという記事だった。そのレポートによると、フェイスブックは3つの異なる手法を使って、31億ドルから60億ドルの間という評価額が提示されている。リンクドインは同様に14億ドルから16億ドル。


フェイスブックに比べると、リンクドインの方がプロ向けなので、ビジネスらしくなりそうな感じはするが、その分、インターネット的(=ホッケースティック的)急激な成長というのはない分、最終的に時価総額は大きくならなくなりそうだなぐらいな気もする。

いずれにせよ、こういったリサーチアナリストたちは、業界で作り上げられた正当な手法で評価をしているわけだが、コストの増大だけは、かなり予測可能だが、売上の成長シナリオはどこまでいっても、「お話」にすぎないというインターネット企業のバリュエーションにつきまとう頭痛の種は消えない。

最後には、赤字でも、こういったSNSが囲い込んだコミュニティに巨額の価値をつけて買収するものが存在するという一種の信憑にもとづいて、市場活動が行われている。しかしこういった信憑はもろい。前代の遺物のようなオーストラリアの老人ルパート・マードックマイスペースを500億円強で買収して世間を驚かせたのは数年前だ。しかし、この老人も、インターネット企業の成長シナリオという「お話」にすぐにうんざりしたようで、マイスペースは強烈なレイオフを実行している。このあたりの打ちまわしは、あまりに前代の遺物的で、誰も驚かせてくれなかったのが心から残念だ。

結局、インターネットの世界で、はっきりとしたビジネスモデルを確立したのはグーグルだけということのようで、この「夢」というバトンを繋ぎ続けながら買収を継続できるのはグーグルというこれも、あまり驚きのない結果に落ち着きそうだ。

グーグルが赤字でも買収を継続できる理由は、インターネットを活性化する活動はそれ自体が黒字でなくても、彼らの本業の黒字に貢献するという別の「信憑」があるからだ。

1年前に、ニック・カーが書いた「グーグルが本当に怖い理由」というコラムがそのことをわかりやすくまとめていた。

http://ameblo.jp/whatawondefulworld/entry-10105583056.html
http://www.nicholasgcarr.com/digital_renderings/archives/the_strategic_value.shtml

「補完財とは他の商品と一緒に利用される商品のことだ。珈琲と砂糖、映画とポップコーン。材木と線路、PCとデジカメなどなど。一つの製品の供給を増やすか、価格を下げると、補完財への需要は上昇する。例えば、電気料金を下げると、掃除機の売上が増加する。

カーのコラムは、1900年に家業のゴム事業の将来を見据えて、若きミシュラン兄弟が採用した驚天動地の戦略、ミシュランガイドの出版という事例から話が始まる。

当時、ゴム事業が頭打ちになってきたので、ゴムそのものから、ゴム製品への事業シフトを構想していた二人は、その頃、まだまだ一部の好事家しか買わなかった自動車に眼をつけた。自動車にとって不可欠のゴムタイヤの売上を伸ばすためには、自動車の売上が伸びなければならない。その意味で自動車とタイヤは補完財の関係にあるのだ。

ミシュランの発想は凄い。自動車の売上を伸ばすには、自動車を使うことの用途を拡大しようとしたのだ。具体的には今年、東京版が出て一時期話題になったあのレッドブックを出版したのだ。ガソリンスタンド、レストランなどドライバーにとって有用な情報を満載したガイドブックだ。

グーグルの戦略の中核にあるのも補完財におけるイノベーションだ。

グーグルのコアビジネスはインターネット広告の販売なので、ブログ、ビデオ、オンラインビジネスソフトなど、人々のインターネットの利用を増加させることはすべて、彼らのコアビジネスにとって補完財なのだ。

そのためこういった製品を無料で提供したり、価格をどんどん切り下げることは、グーグルのコア事業にとって大きなメリットがあるのだ。

だからこそ、eBay, マイクロソフトベライゾンバイアコムなどにとってグーグルが心底恐ろしいのだとカーは言う。

グーグルのこの戦略にも限界はある。簡単にいうと、回収できる以上のコストをかけるとこの補完財戦略は成立しない。グーグルが2006年2月に投資家が予想する以上にコストが増大していることを発表した際に株価が急落したのがその証拠だ。ものにはバランスが必要なのである。(以上)」

赤字でも、インターネットの価値を上げるのならば、グーグルのビジネスにプラスの貢献をするという信憑をグーグルの経営陣が持ち続けられるかぎり、こういった、SNSに対する、ばか高い「気配値」が絶対的に否定されることはないのだろう。

グーグルの経営陣がこの信憑を維持しつづけるための条件は何なのだろうか。それはやはり、彼らの株価という形で表現される普通の人たちの信憑が維持可能かどうかにかかっているのだろう。実際、奇妙な資本構成で、一般株主は、現経営陣の経営方針に異議は申し立てられないので、世論に抗して、赤字でも買収をするということは続けられるのかもしれないが、ものには、どこかで逆のバランスが働くこともあるような気がする。

クックパッドが株式公開するのかどうかは知らないが、ユーザー本位で、生存可能なビジネスモデルが発見されつつあるようなので、そのあたりは大切にして欲しいなと心から思う。