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Jonathan Zittrain なぜPCが重要か

ジットレンは、自分のブログで、PCの重要さというコラムを載せている。
http://futureoftheinternet.org/why-the-pc-matters
今回の、イランでの反政府運動におけるインターネットメディアの活用についての海外メディアが注目していない極めて重要な点があるという主張だ。
PCの重要性という観点である。これは、彼の近著であるThe Future of the Internet and How to Stop it.の論点とも直接につながっている。

結論から言えば、今世界中には自己生成的(self-generative)なままのPCが無数に存在している。これが、今回のような、Civic movementを可能にしているという立論である。
自己生成的テクノロジーについて、彼は、近著の「はじめに」のところで、スティーブ・ジョブスの軌跡を取り上げることで、極めて印象的に、説明している。
曰く、スティーブ・ジョブスは二つの革命を起こした。
第一の革命はアップルIIという自己生成的なテクノロジーによって引き起こされた。しかし、彼の第二の革命であるiPhoneは、これに比べればsterile(不妊の)テクノロジーだと彼は主張する。その違いは、そのテクノロジーが、事後に、ユーザーたちによる、プログラムの変更を認めるかどうかという点にある。個人向けのPCはそもそも、ユーザーたちが必要なものを、そのボックスの中に組み込んで、Do-it-yourself的な作業をすることを前提としていた。
ところが、アップルIIとiPhoneの間に起こった不都合な出来事が、ジョブスを自己生成的なテクノロジーから、事後の改変を許さないlockdown的なテクノロジーへの転向へと余儀なくさせることになった。スパム、ウィルス、なりすまし等のさまざまな問題が、インターネット技術の到来とともに、世の中を悩ますようになったのだ。その意味で、世の中は、人々の自由な創造性を肯定的にとらえるself-generativeな世界から、安心を得るために一定の自由を放棄するという方向へと向かっている。

こういうロジックを前提に、ジットレンは今回のイランにおける反対運動におけるインターネットメディアの使われ方を分析している。
イランでの出来事で、ツイッターフェイスブックなどが利用されているという事実ばかりがハイライトされている。ところがほとんど注目されていないが、きわめて重要な事実がある。それは普通の家庭用PCの果たしている役割だ。
PCが重要なのは、それが新しいソフトウェアを実装することで、ユーザーが新しい用途のために機能修正ができるという、まさにSelf-generativeなテクノロジーだという点にある。イラン政府がウェブに対するブロックを急いでいる中で、こういった技術なしには、イランの人々は、政府がブロックしていないウェブサイトにしか行けないことになるのだ。

今は、政府が大忙しなので、ブロックされていないツイッターの周辺サイトにも、政府の手は伸びるだろう。しかし、PCのこうした特性は、イランの内外問わず、このいたちごっこの力学を変化させている。
まず、イラン国内で、人々は自分のPCに新しいソフトウェアをダウンロードして、ブロックを回避しようとすることができる。xBブラウザオンラインやTorのようなソフトウェアを自分のブラウザに載せることで、自分のウェブアクセスを政府の管理下にない第三者を経由させることができる。

これがPCではなく、インターネットアクセス用の携帯電話ならば、こんな風にはいかない。ほとんどの携帯電話が無線インターネット接続ポイントに繋がっていたとしても、PCのように自由に外部プログラムを走らせることができないからである。どういうプログラムを走らせることができるかは、ベンダーがあらかじめ決定しているのだ。(グーグルのアンドロイドOSがこの点、どの程度の自由度を残しているかはいまのところ明らかではない。)
より重要なのは、国外の支援者たちが利用可能な選択肢の方である。多くの人々が、国内外のニュースに対するイラン政府の弾圧を回避することを支援したいと考えている。
こういった人々は、ソフトウェアをダウンロードすることで、自分のPCを、イランの市民と、ネットの世界をつなぐ中間基地に変えることが可能なのである。
自分のPCでソフトウェアを走らせながら、同時に、一部の帯域とコンピューティングサイクルを、こういったネットの世界の自由運動へと寄付することが可能なのである。フリーソフトの世界のブラウザをプロキシーとして機能させようという試みが進行中である。
これはある意味驚くべき事態だ。我々の家庭にあるのが、1980年代のホビィストたちのためのマシンの後継であるということが、Do-it-yourselfの名残が、こういった事態では決定的な重要性を持つことになっているのだ。我々の家に、無数のPCが存在するということは、それ自体きわめて幸運なことなのだ。
我々がオフィスで使っているPCの場合はそうはいかない。ユーザーが、その設定を自由に変更することは困難だ。あなたが会社のPCをプロキシーサーバーとして走らせていることを知ったなら、会社のイントラネットのセキュリティの心配をしている、隣のIT部門は心臓麻痺を起すだろう。
ほとんどの学校も、学生がコンピュータークラスターの中で新しいプログラムを走らせることを認めていない。図書館も変更不能設定をされている。(実際、これら3つの場所はすべて通常は、自分自身のコンテンツにフィルターを実装している。)

家庭にあるPCのおかげで、人々は新しい市民のテクノロジーをなんとかまがりなりにも作り上げることができているのだ。

おそらく今後情報網(information grid)へのアクセス技術は、より進むだろう。無線アドホックメッシュネットワーキング技術のような研究者も仰天するようなテクノロジーが現れつつある。この技術によって介入を行うISPを必要とすることなく、端末が相互に接続することが可能になるのだ。

誰かが、より大きなインターネットネットワークに接続すると、近くの誰もが、そしてその誰かに近い誰もが、接続可能になるのである。これは発展途上国のようなインターネットのネットワークが十分に発達していない地域でも、相互にデータを共有することで、インターネット接続を可能にさせることになる。実際に、発展途上国の子供たちにラップトップPCを送るというプロジェクトで用いられているテクノロジーである。
誰かが自発的に必要なソフトウェアを書いて、提供するならば、こういった課題は解決可能なのである。既存のPCに若干調整を加えれば、それは、ブラジルの学童用や、電池でラップトップを走らせているハリケーンの避難民用、政府の通信干渉に直面しているイランの市民用に機能することになるのだ。自己生成的なPCが世界中に存在しているかぎり、それに対して、自発的なソフトウェアを提供するハッカーたちがいる限り、市民の動きをすべて囲い込むことはできない。(以上)