21世紀ラジオ (Radio@21)

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クラウドの内側 その1

第1回 デジタルコクーンは、灼熱のデータセンターの上で踊る
TwitterFacebookのようなWeb servicesが、エンドユーザーの想像力に火をつけた。Twitterは今ユーザー数3200万人で、年末には5000万人に達するのではないかと言われている。特にビジネスモデル(収益をどのように作り上げるか)という観点から見たら、このユーザー数とか会員数というものを、単純に同じものとして比較することはできないかもしれない。ただ、そこに集う人の数が増加し、それに一定の自由度とイニシアティブを与えられるならば、その場からは、多くの化学反応が生まれることだけは間違いがない。メディアとしてのPowerという意味では数が多ければ多いほど、意義も強まることになるはずだ。

イラン革命から、地元メディア、政治資金集めから、高校の同窓会まで、膨大な数の人間の営みが、インターネット上で行われている。

最近はクラウドコンピューティングという言葉が、SI,キャリア、メーカーの間で、やたら使われているが、そもそも、通信アーキテクチャーをポンチ絵にするときに、昔から、インターネットはふわふわした雲の形で描かれてきた歴史がある。そのいいかげんな感じが何とも言えず、好きだった。そのインターネット雲がちょっとしたブームで本棚にはクラウド関連の本もずらっと並んでいる。

安い端末と、ネットワーク接続性さえあれば、いつでも、どこでも、多くのウェブサービスを活用できるというようなゆるい意味合いで、クラウドという言葉が使われ始め、流行語のご多分にもれず、そのあいまいさの故に、いろいろな人がいろいろな意味で利用するようになり、言葉は流通するが実態はよくわからないものになりはじめている。

ITの流行語批判をするのが目的ではない。ここでは、こういったクラウドの内側にあるもの、インターネットを可能にするインフラのことを考えてみたくなった。

10年ほど前、現実がSFをまだ追い越していなかった時代に、ぼくは、インターネットや携帯通信の急激な発展をまのあたりにしながら、一種の、冷たいユートピアのようなイメージを持った。つまり、成長の限界のような気分になっていたとき、むしろバーチャルなものが、こういった制約の中で、人間が住み分けていくための道具になるのではないかとふと思ったのだ。

当時、マトリックスという映画が大流行で、人間たちがマシンにとってのエネルギー源となり、一種の発電所のような中に眠らされ、こういった眠る人間たちの脳だけが活動し、それに対して、全能となったマシンから、疑似的現実が与えられるというデジタルな悪夢のイメージが世の中にはあふれていた。

ひねくれているぼくは、むしろ、資源の制約の中で、理性の狡知のように、我々に与えられた、デジタルコクーンCocoon)というひんやりとしたユートピアをどちらかといえばポジティブに、妄想していた。

豊かな自然の中に住みながら、通信網だけは、はりめぐらされていて、「都市的」情報交通には、スイッチオンさえすれば戻れるというような生活のイメージだ。理性の狡知などというアイロニーをもてあそんでいた。

ところがデジタルな世界のアイロニーの居場所が違っていたのだ。空気はクールどころか、ホットだったのだ。

実は、PC/インターネット的情報交通は、決して省資源的ではない。

ひんやりしているどころか、米国のデータセンターの総消費電力は、既に全米のカラーテレビの総消費電力に追いついていて、数十年後には、データセンター業界の二酸化炭素排出量は、航空業界を追い抜くという予想まである。火の玉インターネットなのだ。

ところが、インターネットが田園をめざすというイメージは、若干ひねりを加えた形であたっていたのだ。

2008年5月22日のUKエコノミストに、データセンターが安い電力を求めて、ワシントン州のコロンビア川沿いに集結する事情についての記事が載っていた。

http://www.economist.com/business/displayStory.cfm?story_id=11413148

マイクロソフトの本拠地がある、ワシントン州シアトルから、自動車で3時間移動するとクインシーというなにもない田舎町がある。現代のテクノロジーの巨人である、マイクロソフトやヤフーが、競うようにこの場所にデータセンターを建築中だ。この田舎町が、データセンターにとっては理想の立地だというのだ。

データセンターはいまやテクノロジー企業だけではなく、あらゆる産業にとっての基幹部分になってきた。そのため、データセンターへの需要も拡大し、立地も多様化を余儀なくされている。

アメリカだけでもデータセンターは7000以上存在し、それぞれが、個別の目的をもったサーバを多数収容している。

アメリカのサーバ台数は2010年に10年前の3倍、1580万台まで増加すると予想されている。

数年前まで、サーバをどこに置くかなどどうでもいいことだった。

戸棚の中とか、机の下に無造作におかれたサーバというのが普通だったのだ。

ドットコムバブル期に、顧客のサーバを預けるサーバーファームという事業が始まったが、こういった会社は、得意先が密集するシリコンバレーにデータセンターを持っていた。

ところが、あらゆる事業がデジタル化し、コンピューティング力を必要とするようになり、法的規制の強まりから企業がむやみにデータを維持しておかなくてはならなくなるなかで、企業のデータセンターには、サーバがびっしりと詰め込まれることになった。

スペース内のマシン密度の高まりと、つめこんだサーバが発する熱を冷やすための空調が必要なためデータセンターの消費電力は急騰しており、企業のIT担当者の頭痛の種になっている。

企業は、こういった予算制約の中で、何の気なしに置かれてきたデータセンターの再編統合を行いはじめている。バーチャル化という技術はそんなトレンドの中で注目を浴びるようになった。

こういった企業に対応するアウトソーシング企業や、グーグルやヤフーやアマゾンなどのように、ウェブサービスをコアコンピテンスと考える企業のデータセンター拡大競争が生じている。こういった巨大センターの中には、電力消費量が電力多用型の典型のアルミ精錬工場に匹敵するものもある。

クインシーにデータセンターが集まるのは、最大のボトルネックとなりつつある、電力が安くはいるからなのである。この町がコロンビア川からの水力発電を利用できるという立地のためなのである。さらに冷却用の水資源も豊富で、高速の光ファイバー回線が利用でき、セキュリティ的にも心配ないほど人里離れていると、三拍子も四拍子も揃った理想の立地なのだ。

グーグルもコロンビア川沿いに新しいデータセンターを建築する予定だ。

アメリカでよい場所が見つからなくなって、いまや、シベリアやアイスランドのような寒冷地でのデータセンター建設が行われている。

それじゃ、データセンターは皆街中から消えるかというと、スピードがもっとも大切な金融産業などは、ひきつづき、マンハッタン、東京周辺に自社のサーバを置きたがる。でもバックアップセンターから地方という選択肢が検討されることになるだろう。

まるで発電所からの遠隔地への送電が、工業化を促進したのをなぞるように、コンピューティング工場たるデータセンターは、発電所を追いかけていく。そして、そこから遠方に送られるのは今度は、電流ではなく、コンピューティングによるITサービスになるのだ。そして、コンピューティングが文字通りUtilityになっていく。(以上)

次回は、企業運営の基幹プロセスとなりつつあるデータセンターの歴史を考えてみたい。