21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

Ashton Kutcher ツイッターの顔

Ashton Kutcherという俳優は、オプラのようにfollowerが100万人を超えているTwittererだ。そんなに日本では知られていないようだが、ツイッターがイラン国内というよりは、海外に反響を引き起こす力があるのと同様に、ツイッターでベスト10に入っているという事実が、海外での反響を引き起こす例だ。(まあ、僕だけが彼のことを知らない可能性もある。)

彼が、タイムマガジンに、ツイッター礼賛の短文を寄せている。100万人の観客を0から生み出してくれたメディアなのだから、礼賛も当然か。

http://www.time.com/time/specials/packages/printout/0,29239,1894410_1893837_1894156,00.html

将来ぼくたちがいま生きている時代の歴史が書かれるとき、ツイッターの創業者のビズ・ストーンとエヴァン・ウィリアムスの名前は、サムエル・モース、アレクサンダー・グラハム・ベル、マルコーニ、ファイロ・ファンズワースなどのような巨人たちに名前を連ねることになるだろう。

35歳のストーン、37歳のウィリアムス。32歳のジャック・ドーシーが創業したツイッターはモールス信号、電話、ラジオ、テレビやパーソナルコンピュータの発明と同様、重要かつパラダイムシフトを引き起こすようなものになりつつある。

多様なウェブ2.0技術の中で、ツイッター(一度の記載、ツイートが140字に制限されたマイクロブロッギングサービス)は基本的なインスタントメッセージングやソーシャルネットワーキングをようやく超え始めている。

これは他のサービスに比べて、本当の意味で、新しく、完全にオリジナルな通信形態として、全世界で受容されはじめており、あらゆるメディアの関心や影響力のレベルで人々の想像力をわしづかみにしている。

ぼくを雇っているような産が、パッケージ化し、磨き上げた、フィルターを通した通信手段中で生息している自分のような人間にとって、ツイッターは、自分自身を表現し、文化的トレンド、意見、情報にアクセスするための貴重で、新しい道具になったのである。

ツイッターはぼくのインターネットへの扉であり、自分が作ったコンテンツを共有するメディアでありながら、自分の心の奥のところにいつも存在する他の人々と持ちたいと考えている関係性を与えてくれている。

ツイッターはテクノロジーの勝利などと簡単に片づけられない、人間性と関係性にとっての新しいステージなのだ。

今や革命という言葉は140字で綴られている。(以上)


Right now the word revolution is spelled with 140 characters. というAshtonのしめの決め台詞はなんとも格好がいい。