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スティーブン・ジョンソンがタイムマガジンでツイッターのことを書いている その1

なんとなく、一日中、ツイッターのことを考えていた。自分のページには、ティム・オライリーだとか、日本のITエンジニアの、告知やひとりごとがランダムに入り始めた。すでに、いくつか、アダルト系のスパムのようなfollowerからのメールが入ったりする。なんとなく、感覚がわかってきた。

有名人を、フォローするメディアとしても、使えるが、自分が、followされる立場になるというのはそんなに簡単じゃない。だからはじめは、友人、隣人の類を招待するということになるんだろう。すると、有名人と知り合いからランダムなTweetがフィードされるようになり、不思議なコミュニティが出来上がるということなんだろう。

自分のブックマークの回覧をしていたら、スティーブン・ジョンソンが、ブログで、タイムマガジンのカバーストーリーに「ツイッターはそのように私たちの生活を変えたか」という彼のコラムが掲載されたことを伝えていた。

http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1902604,00.html

スティーブン・ジョンソン(SBJ)は、ニック・カー同様、比較的まめにブログをフォローしているライターだ。

彼のコラムも、なんでこんなものが役に立つんだと思ったという、比較的よくある第一印象からはじまっている。友達に自分が朝食に何を食べたかを伝えられるメディアの意味ってなんなのか。

そんな疑問にもかかわらず、4年間で、このサービスはすさまじい速度で加入者を増やしている。友人の朝食の献立に関する140字内での情報の持つ意味を、テクノロジーライターのクライブ・トンプソンは、環境認識(ambient awareness)と呼んでいるらしい。なにかこういう情報が、自分を取り巻く環境との満足のいく関係構築に役立っているというのだ。

あと、SBJが強調するのは、エンドユーザーが主体となったイノベーションというもののユニークさだ。ツイッター社自体がすべてのイノベーションを起こしているのではなく、ほとんどのアプリケーション開発はユーザーコミュニティが主導しているというのだ。

このあたりで、ようやく、ニューヨークタイムスの、ツイッター社とユーザーコミュニティの対立というような力学がわかってきた。

特にSBJが実際に参加した教育コンファレンスで、ツイッターがどう使われたのかというあたりは、ツイッターの意味をよくわからせてくれるので、ちょっと長々しいが引用してみよう。

「今年のはじめ、私は教育改革に関する一日がかりのコンファレンスに参加した。ハッキング教育という、小さな、プライベートな集まりだった。40名あまりの教育者、起業家、研究者、慈善家、ベンチャーキャピタリストなどが、学校の将来について6時間にも及ぶ会話を行った。20年前だったらこういった場でかわされた内容は、参加者だけが知ることができた。10年前は、記録が数週間後か、数ヵ月後に、ウェブ上に掲載された。5年前は、一握りの参加者が自分の経験をブログに書いた。

しかし、このイベントが開催されたのは、2009年だ。会場でのリアルタイムの対話は、ツイッター上のリアルタイムのツイッター上の対話と連動している。コンファレンスのはじめに、主催者がこのイベント内容をツイッター経由でライブにコメントしたい人は、140字の中に#hackeduという言葉を加えてくださいとアナウンスしていた。この部屋には大きなディスプレースクリーンがあり、ツイートのフィードがいつも流れている。討論がはじまると同時に、スクリーン上に、参加者がPCやブラックベリーで打ち始めたコメントもスクリーン上に流れ始めた。
はじめは、スクリーン上のコメントはすべて、参加者からのものだった。30分経過後、こういったコメントがツイッター世界に浸透しはじめ、#hackeduというカテゴリーで、学校の未来をめぐる対話が生まれ始めた。

#hackeduのスレッドをフォローしていると、見知らぬ人々からのツイートがスクリーン上に現れ始めた。すると、それにつられるように、他の外部者も参加しはじめ、第三者的見解や新しい論点がどんどん現れ始める。招かれていなかったらしい教育専門家が公式に不満をいいはじめたりもする。会議室では、こういったスクリーン上から面白いアイディアや質問を引き出して、参加者たちの討論を活性化していく。

会議が終わったときには、数百のコメント(ツイートと呼ばれる)が残り、これを踏まえて、会議が終わったあとも、ツイッターのサイト上で議論が継続していうことになる。#hackeduをツイッターで検索してみると、会議が開催された3月はじめから以降のあたらしいコメントを読むことができる。

ツイッターを会議に組み入れたことで、会議運営自体の様相が変化した。プライベートな意見交換が、より広範な観衆を招き寄せ、実際の会議が終わった後にも、ウェブ上で対話が生き続けることになるのだ。しかも、それは140字たらずのメッセージによってすべて行われているのだ。一つ一つは小さなものだが、それが集まると、かなり実質的な存在になっていく。小さな小石から大きな吊橋が出来上がるようなものだ。 」

会議と、ツイッターコミュニティの相互作用はこんな風になっているんだ。

SBJのビジョンは、ツイッターが昨年付け加えた検索機能がグーグルに匹敵する可能性があると主張するあたりだが、ちょっと長くなったので、これは次回ということで。