トランプがバノンを必要とする理由 (Edward Luce, Why Donald Trump still needs Stephen Bannon)
2017年4月14日(金) 21℃ 晴れのち曇 109.154¥/$
ドナルド・トランプが大統領の役割を果たす中で、既存の政治の仕組みに取り込まれるであろうということは、それなりに世の中が想定したことである。
しかし昨今の、トランプ大統領の既存勢力の取り込まれた方の烈しさを見るにつけ、この短期間での公約からの乖離。大丈夫なんだろうかと、親トランプというわけでもなかったのに、妙な心配をしてしまうほどだ。
このあたり既存メディアも同じようで、フィナンシャルタイムスのEdward Luceが、
「トランプがバノンを未だに必要とする理由(Why Donald Trump still needs Stephen Bannon)」というコラムを寄稿している。
曰く、
『トランプ氏の選挙が、世の中に明らかにしたことがある。
それは、ワシントンの既存勢力(エスタブリッシュメント)の手口というものは、手札がそろってもいないのに、役がありそうに見せかけているだけだ(a busted flush)ということだった。
アメリカの既存の政治構造は破壊されてしかるべきなのだ。
その状況は今なお変わっていない。
その意味で、今後のバノン氏の処遇は、トランプ氏自身、自分が大統領になぜ選ばれたのかをどれだけ覚えているかということを推し量る上での最良の目安となるだろう。』
トランプ氏が自らの公約を放り投げた後に、到来する、政治不信の引き起こす闇の深さは、今よりもさらに深刻だと考えている。その上でも、バノン氏の処遇は気にかかるところなのだ。
https://www.ft.com/content/43edc082-1df3-11e7-b7d3-163f5a7f229c
(以下要約)
バノン氏が追い出され、国家安全保障会議がこの分野のプロによって運営されるようになったことで、安堵の息が吐き出される声がいたるところで聞こえる。
プーチンを非難するトランプのコメントは、民主党、共和党のタカ派から一様に賞賛されている。トランプの罪は全て許された。グッバイ!ミスターバノン。ようこそトランプ2.0へ。
世の中に拡がっているこの見方には欠陥がある。
バノン氏の居場所はなくなったわけではない。
トランプ政権の中で唯一、戦略的と呼べる頭脳に近いものを有するのは彼だけなのだ。
影響力を高める、クシュナー氏は義理の父親同様、人脈作りの才能に長けたマンハッタンの不動産業者だ。しかし残念ながら彼に世界観と呼べるようのものはない。
マチス国防長官も、優れた軍事的頭脳は持っているだろうが、戦場における知恵を戦略と混同すべきではない。
クシュナー氏と連携して、バノン氏の影響力を排除したマクマスター国家安全保障担当補佐官も同様。
ティラーソン国務長官の外国戦略における頭脳の程度は未知のままだ。
彼もまた二転三転を繰り返さざるをえない。
先週のシリア攻撃の後、ティラーソン氏は、トランプ政権の目標はアサド大統領の排除であると述べた。その前の週には、彼は、正反対のことを言っていた。トランプ氏と足並みを揃えるということはことほど左様に大変なのだ。
好きか嫌いは別にして、バノン氏の考え方が首尾一貫しているということだけは間違いがない。さらにトランプ氏の考え方にもっとも近いのだ。
加えて、トランプ氏はいまだ彼を必要としている。
バノン氏の世界観は明確である。バノン氏は、ワシントンの外交エスタブリッシュメントが一様に賞賛した、シリア攻撃に反対していたと報じられている。反対するだけの理由がある。
米国は再び中東の泥沼(quagmire)に吸い込まれる余裕などないという信念である。
今回のトランプ氏の判断が、バノン氏なき、戦略的真空状況のもとで行われた可能性は高い。
大統領はテレビでシリアの惨状を見て、リモコンに手を伸ばしたのだ。59発のトマホークと彼のツイートは似たようなものなのだ。しかし次はこんな風にはいかない。
意識するしないは別として、今回の攻撃は、トランプ政権が、シリアの未来に直接かかわることになった序章ともいえる。
心から、幸運を祈る。
シリア問題を解決するというのはキッシンジャーの手練手管とレーガンの運の良さを必要とするほどの難問だからだ。
トランプ氏が次に、抑えがたい衝動にとらえられた時には、バノン氏の意見に耳を傾けた方がいいだろう。たしかに、バノン氏は異なる状況では、トランプ氏を煽るようなアドバイスをする可能性があることは否定できない。
例えば対中国関係。
しかしこと中東に関しては、バノン氏の本能の方が健全である。
現状では、トランプ氏はバノン氏の経済面でのアドバイスも退けているようだ。
来週以降、トランプ政権は税制改革に対する具体的な計画を公表することになる。
又、トランプ氏に投票した人々にとってもっとも重要な公約の一つは1兆ドル規模のインフラの近代化である。いわゆる忘れられたアメリカ国民に対する中核を占める公約なのだ。中西部での雇用を復活させ、工業労働者の誇りを回復しなければならないのである。
この場合も、既存勢力(エスタブリッシュメント)の影響力が大きくなりつつある。トランプ氏は、ウォールストリートや共和党の、伝統的減税志向のアドバイザーに取り囲まれている。
これに対抗して、トランプ氏が公約通りの中間層向けの財政パッケージにフォーカスするならば、彼は民主党との間で、共通の大義を形成しなければならない。これらすべては、トランプ氏が当初の公約とは正反対の方向に向かっていることを示している。
ワシントンは、昨年の選挙で有権者が怒りを持って拒否したタイプの政策へと急激に戻りつつあるのだ。
将軍たちがトランプ氏のアメリカ優先主義の外交政策を押し出してしまったのと同様に、ウォールストリートが経済論戦で勝利を収めつつある。
どちらに関しても、バノン氏は敗者の側だ。
彼の敗北には彼自身の責任というところも大いにある。
メキシコとの国境の壁は、コストが高くつくばかりか、かなりの的外れな政策だった。
中東6か国からの入国禁止令は、裁判所によって瞬時に拒絶されてしかるべき、無用の挑発である。オルトライトと呼ばれる極右勢力の無法者たちとの接近は許しがたい。
だからといって、トランプ氏に投票した人々を、すべて、ファシストや、悲惨な群衆(basket of deplorables)と混同すべきではない。
トランプに投票した何百万というアメリカ人は、バラク・オバマに対しても投票した人々なのだ。
トランプの支持層は、トランプに真剣に向き合っているが、彼の発言を一つ一つ字義通りに取ったわけではないのだ。彼らに届いたのはトランプの米国の中間層に再び注目するというメッセージだったのである。その中には、過酷な戦争をもう行わないというものが含まれていた。ブッシュのイラク戦争に対する攻撃は、トランプの選挙運動のクライマックスだったのだ。
さらにスーパーリッチに、すり寄ることはないというメッセージも心に響いたはずだ。トランプの選挙運動は、共和党がブルーカラーの有権者の心をしっかりとつかんだ最初の成功例なのだ。この成功を仕組んだ中の一人が、バノン氏なのだ。
とはいえ、バノン氏のために流す涙などない。実際、彼にさらばというのは時期尚早である。
彼は、引き続き、ホワイトハウスがアメリカ政治に投じる重要な一石のままなのだ。
さらに、彼のアドバイスのすべてが怪しからぬわけではない。
そもそも、政治家たるもの、少なくとも、有権者に対する公約のいくつかを達成しようと試みるべきなのは当然だ。
トランプ氏の選挙が、世の中に明らかにしたことがある。
それは、ワシントンの既存勢力(エスタブリッシュメント)の手口というものは、手札がそろってもいないのに、役がありそうに見せかけているだけだ(a busted flush)ということだった。
アメリカの既存の政治構造は破壊されてしかるべきなのだ。
その状況は今なお変わっていない。
その意味で、今後のバノン氏の処遇は、トランプ氏自身、自分が大統領になぜ選ばれたのかをどれだけ覚えているかということを推し量る上での最良の目安となるだろう。
(以上)
東芝上場廃止問題で問われているのは何か (東証の頭痛)
2017年4月13日(木) 17℃ 晴れ時々曇り108.935¥/$
東京証券取引所は、この巨大企業の株式の上場廃止を巡って頭を悩ませている。
日々の新聞を読んでると、やけに複雑に見えるが、問題の根本はいたってシンプルである。
企業というのは、株式という形と借金という形で資金を外部から集めて、それによって投資を行い、利益を生み出すという仕組みである。これは、現在、地球上の大多数の人々が生活する資本主義という仕組みの中核を占めるものでもある。
投資によって獲得された資産は企業の貸借対照表の資産項目に計上される。
会社の資金調達と投資(その結果として企業が有することになった資産)の現状を定期的ににまとめたスナップショットが企業が四半期ごとに開示する貸借対照表である。
債務超過というのは、その時点での総資産から、元本で返済する必要のある総負債を引いた金額がマイナスになっていることである。
具体的に考えてみよう。ある会社が100億円の資金を調達して事業を行っているとする。80億円が銀行ローン。20億円が株式発行。
そしてこの資金で、オフィスを借り、社員を雇い、研究開発投資、工場投資を行う。その結果、立ち上がった事業が利益を生みだし、それを長年継続した結果、総資産が120億円になっていたとする。
帳簿上の価値額で資産が売却できるとは限らないが、とりあえず、資産をすべて売却すれば、120億円の現金が手元に残ると考えよう。
ここで会社を畳んだら、全資産を売った金額120億円から、銀行に80億円を返した後に、40億円のお金が残ることになる。これが株主の取り分ということになる。
この状況で会社を畳むものはないだろう。
東芝の置かれている状況は、監査法人が推定した総資産の価値から総負債を引いた金額がマイナスになるということなのである。
これだけでも大問題だ。これに加えて、東芝の会計士は、この会社の財務諸表上の数字が、会計のプロから見て、適切であるという意見を表明することができないと言っているのである。
これに先立つ、粉飾決算スキャンダルの主因とみなされている、社内の内部統制が改善しているという確証を会計士たちが持てなかったのだ。
今、会社を畳んでも、株主はおろか、借金すら返せないということが債務超過である。これだけでも大問題である。しかもこれだけの巨大企業なのだから、影響は甚大である。
しかし、監査法人が会社の財務諸表に適切な意見表明ができないということは、それとは違う次元の深刻さなのである。
株式市場というのは、監査法人という第三者のプロが、会社が作成した数字を精査した結果、開示される財務数字が正しいとみなしたという前提で、その会社の評価を行い、売買が成立している。
そもそもの数字に信頼性がないのならば、どうして投資家は、リスクを取ってその株式を売買できるだろうか。
東京証券取引所の上場ルールの根幹にあるのが、財務数字の適正性なのである。そしてこの適正性を担保するのが監査法人という組織の任務なのである。
現実には、このルールは、あらゆる企業に、平等に適用されているわけではない。
巨大企業であること、社会的影響等を勘案し、中小企業には峻厳に、大企業には甘目に適用されていると言わざるを得ない。中小企業は形式基準で裁かれ、大企業には実質基準で判断するというようなことだ。社会的影響度を考えれば当然だという意見が存在するのも知らないわけではない。
東芝の経営陣による最初の粉飾問題も、メディアは、粉飾という言葉を使わずに、不適切会計処理という曖昧な表現を使い続けた。これが新興企業だったなら、一言、粉飾決算と指弾されたはずだ。
たしかに、巨大企業の倒産というのは、多くの、悲劇を巻き起こす。その意味では、慎重でなくてはならない。
しかし、繰り返しになるが、資本主義というものは、企業の財務数字を信頼して、事業資金をリスクを取って投資する人々の、市場というものに対する信頼によって成り立っている。
個別企業を取り巻く事情とは、一つ次元の違う原理が試されているのである。
東証が東芝に対してどのような対応をし、今後、この会社がどのような運命をたどるのかはわからない。それに対して、軽々に私見を述べる気はない。
今回東芝は、監査法人が適切であるとお墨付きを与えることを拒絶した財務数字を会社が対外的に発表した。株主よりはとりあえず、銀行などの貸し手を意識した経営判断なのかもしれない。これを一概に否定することはできない。
その結果、依然として、東芝株は市場で取引が続いている。今後、市場に新しく入ってくる投資家は、会社が発表した、この数字を参考にして売買を行うことになる。
東京証券取引所が、諸般の事情を「忖度」して、市場における東芝株の売買を排除しないという判断を行うということは、この会社発表の数字が、結果、適切ではない場合のリスクを取るということを意味するのだ。
東証は、株式市場というものの根本の原理に抵触するリスクにさらされることになる。
すなわち、日本市場そのものに対する疑義、とりわけ、安倍政権成立後も、常に日本株を売り越してきている個人投資家の市場に対する信頼を裏切ることによって、生じる、深刻な悪影響を引き起こすリスクが問われているのである。
連鎖倒産、失業者の増大、日本の技術の流出。東証の目の前には、「忖度」しなければならない様々な事情が積みあがっている。
しかし、東証は、自らの存在意義、今、我々が肯定している資本主義というシステムの根幹を占める、市場、企業の原理を問われているのである。
より生々しいことを言えば、監査意見不表明のままの東芝の決算数字の開示後に、東証が東芝株の上場を廃止しないということは、今後の売買において投資家は、東証のこの判断を根拠にするということである。すなわち、将来、今回の開示の実際との齟齬等に伴う訴訟リスクを東証が直接抱えることになるのだ。
これだけの巨大企業、海外の投資家も多い中、実は、これが一番真剣に悩まなければならないものなのだ。これまで、東証は、適正性の担保をすべて監査法人の監査意見に丸投げしてきたわけなので、このブーメランの辛さを一番痛感しているはずだ。
どちらを選択しても、辛い判断をつきつけられている。自らの忖度のもたらすコストをくれぐれも見誤らないことを望む。
スティーブ・ケース『サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る』
2017年4月12日(水)19℃ 晴れのちくもり 109.661¥/$
「恰(あたか)も一身にして二生を経るが如く、
一人にして両身あるが如し」
福沢諭吉の言葉らしい。出典は文明論之概略らしいが、確かめたわけではない。
一身二生。
江戸と明治。戦前と戦後。価値観の大転換に晒される世代の宿命を一言で表している。
私たちなどは、それほど、劇的な価値観の転換にさらされたわけでもない。ただ、そうはいっても、小波のような変動にはさすがにさらされることになる。
私にとっての一身二生は、
高度成長と低成長、
PC前とPC後、
インターネット前インターネット後、
モバイル前、モバイル後、
というところだろうか。
その中でも、インターネットの到来というのは、僕の生活の仕方を劇的に変えたような気がする。
Eメールがなかった頃の、海外業務、携帯電話がなかった頃の待ち合わせ。どんどんそんな暮らし方が遠い記憶になっている。
インターネットのダイアルアップ接続時代。
昔は暗記していた、ダイアルアップの仕組みも、もうすっかり忘れてしまったが、アクセスポイントに接続したときの、あのfax送信の時のような、ホンワカした音だけは忘れない。
私が最初にインターネットに接続したときのプロバイダーはAOLだった。そのうち、日本のAOLのあまりの不便さに解約することにはなったが、あの頃の、インターネットへの憧れのようなものをAOLがすべて体現している。
トム・ハンクスとメグ・ライアンのチャーミングなYou’ve got a mailという映画の影響も多いにある。
思えば遠くへ来たものだ。
ところが、AOLの創業者であるスティーブ・ケースは、まだまだだと言うのである。
彼が書いた「サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る」 は、若い頃に影響を受けた、アルビン・トフラーに倣って、来るべきインターネットの新しい時代を予測している。
サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る (ハーパーコリンズ・ノンフィクション) | スティーブ ケース, 加藤万里子 | ビジネス・経済 | Kindleストア | Amazon
トフラーによれば、
『第一の波
農業革命後に数千年にわたって展開された定住農耕社会
第二の波
産業革命後の社会で、大量生産と流通によって人々の生活が一変した。
第三の波
情報社会――電子通信でつながった地球村――を指している。その世界では、人々が限りないサービスと情報を手に入れ、双方向の世界の一員となり、地理的にではなく共通の関心に基づいたコミュニティを築き上げる。』
となる。
これに倣って、ケースは、インターネットの発展を3つの段階に分ける。
第一の波では、最大の課題は、オンラインの世界にインフラと土台を築くことであり、その担い手は人びとをインターネットにつなげ、人と人をつながることを可能にするハードウェアやソフトウェア、ネットワークを作る企業群だった。
代表的企業として、彼は、シスコ、スプリント、HP, サンマイクロ、マイクロソフト、アップル、IBM, AOLを挙げている。
第二の波は、インターネットをベースに、その上に、何かを築くことが課題となった。具体的にはサービス型ソフトウェア中心の時代である。
代表的サービスとしては、ツイッターやインスタグラム。
その後、検索エンジン(グーグル)が登場し、Eコマースサービス(アマゾン)が拡大し、ソーシャルネットワーク(フェイスブック)が個人ユーザーを体系化して、大量なユーザーをひきつけた。そしてアップルがiOS、グーグルがアンドロイドを世に出して、モバイル化の動きが加速する。
『サービス型ソフトウェアのどの製品も事実上、無限に拡張できる。新規ユーザーへの対応は、たいていの場合、サーバーを追加したりエンジニアを増やすのと同じくらい簡単だ。また、アプリは無限に複製することができる。要は、新たに製品を製造する必要がない。』
第二の波のこの特徴を最大利用して、利益ではなくユーザー数というマントラで、多くの新興企業が軽快に資金を集め、その規模を大きくした。
次に来る時代が第三の波。
彼の定義によれば、インターネット製品がインターネット企業だけのものではなくなった時代である。
Internet of Everythingの到来。
『インターネットの第三の波の特徴は、モノのインターネットではなく、あらゆるモノのインターネットになるだろう。人類はテクノロジーの進化の新たな段階に入りつつあり、インターネットが生活のありとあらゆる部分に――いかに学び、いかに治療を受け、いかに資産を管理し、いかに移動し、働き、はては何を口にするかまで――完全に統合される。第三の波が勢いを増すにつれて、各産業のリーディングカンパニーはすべて破壊される恐れがある。』
こういった枠組で物事を考えていたら、彼は、新しいこの時代が、現状の第二の波というよりは、彼が大波を警戒に乗りこなしていた第一の波の形状に似ていることに気づいたのだという。
『第三の波の起業家たちは、たとえ最先端テクノロジーが活用できたとしても、テクノロジー以外のことに膨大な時間を費やすことになるだろう。私たちがそうであったように、新しいものに懐疑的で強大な力を持つ強力なゲートキーパーがいる産業に、インターネット基盤を構築する戦略が必要になるからだ。私たちが「インターネットそのものに接続すること」に取り組んだのに対し、これからの起業家は「インターネットをほかのすべてのものに接続すること」に取り組むことになるだろう。』
いくつかの具体例をあげている。
例えば、第三の波の時代に大きな変化が予想される教育分野。
彼によれば、教育でイノベーションを試みた人々は、第一の波の時代にはテクノロジーにこだわり、第二の波ではコンテンツを重視しすぎた。
『第三の波で勝利を収めるのは、テクノロジーを活用し、素晴らしいコンテンツに焦点を当てながら、コンテクストとコミュニティの重要性を理解している者たちだ。彼らが、おそらく民間企業と提携して、市場に打ち出す統合的なアプローチは数十年間話題にされていながらいまだに実現していない学習革命を結実させるだろう。』
第三の波での起業家へのアドバイスとして、3つのPを指摘する。
パートナーシップ(Partnership)
政策(Policy)
粘り強さ(Perseverance)
第三の波においては、その定義上、あらゆる産業がテクノロジー化、デジタル化することになる。すなわち物理的なビジネスと電子的なビジネスの境界が曖昧になるのである。そのため、全ての産業には、その構造を支えてきた一種のゲートキーパーのような力が存在することになる。そのため、第二の波とは違って、起業家が独力で進むという選択肢はなくなる。
iPodという新しいビジネスを拡大する際の、ジョブズと既存の音楽産業の連携がその良い例である。
先ほどの教育イノベーションでいえば、万人が教授や生徒になれる学習プラットフォームを提供するというMOOCの例。
MOOC各社は、当初の単独の消費者向けモデルから、早々に、企業向けモデルへと転換し、法人の安心を買うために、ハーバード等の一流大学との連携を試みるようになった。初めの頃、既存の大学の散々悪口を言った口の根も乾かぬ内の掌返しである。
次の政策(Policy)。
これは全ての産業が対象となるため、当然のことながら、既存構造に大きな影響力を持つ政府との関わりが不可欠になる。
第二の波のように、大学の寮にこもり切って、とにかく、モバイルアプリを思い通りに作っていればよいという幸福な時代は終わったのだ。
政策動向に通じた組織、人間との連携が、事業を立ち上げるためには不可欠となる時代の到来である。
『インターネットの波が進化するにつれて、危険要因は変化してきた。第一の波の大きな懸念事項は、技術の実現、という技術的なリスクだった。第二の波では、実現した技術を市場が受け入れるかどうか、という市場リスクだった。第三の波では、政策リスクが今まで以上に重要になる。規制にうまく対応して、製品またはサービスを無事に市場に投入できるかが、鍵となる。』
最後のP。粘り強さである。
粘り強く、しかも、相反するロジックの間でバランスを取りながらの綱渡りが必要になるのだ。
既存勢力と連携しすぎてはいけない。従来の価値基準を根底から覆すだけの、斬新さが必要になる。しかし、同様に、業界内の力学を理解し、誰と組むか、規制当局にどう対応するかをしっかり把握する必要もあるのだ。
起業の場所も、シリコンバレーのような、破壊型パーソナリティの集積地ではなく、僕たちが普通に生活する場に戻ってくるのだ。地元に存在する産業をデジタル化することが、この時代の目的となり、対象地域は大幅に広がっていく。20代のプログラマー中心から、30代の農業従事者や工場労働者、シェフなどが、自分の専門領域の問題をデジタル技術を利用することによって解決するというのが第三の波では中心的なサクセスストーリーを生み出すことになる。
スティーブ・ケースが描き出す近未来は、僕たちが今感じているところから、かけ離れてはいない。第二の波の中、国が小学生からコーディングを奨励し、目端の利いた大学生が、モバイルアプリを作り、それに若手のベンチャーキャピタルや大手の通信会社が投資をするという時代へのクエスチョンマークが大きくなってきているし、すべての産業がデジタル化するのだから、大企業、政府などとの連携ができる人材が起業には不可欠だというのも、わからないでもない。
つまりは、ここ5年ぐらいの予測、マニュアルとしては、役に立ちそうな気はする。
しかし、その分、はっきりしていることがある。
大企業、大組織中心への回帰を匂わせるということでは、あまり、面白くはないケースの立論であるが、本当に新しいものは、彼のこの予測からは、かなりズレたところから生まれてくるだろうということを教えてくれるという意味で、「役に立つ」本のような気がする。