読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

黄禍論ではなくラッダイト?(トランプVs経済学)

2017年3月16日(木)14℃ 晴れのち曇り

 

113.385 ¥/$

 

トランプ大統領は、自分の中核を占める支持者層である、米国が競争力を失った伝統的製造業が集中する地域に住む、低学歴、白人労働者層に雇用を生み出さなければならない。それも早急かつ目に見える形で。

 

そのために企業を直接に恫喝して、特定地域に雇用を「移動」させるという荒業を繰り返すと同時に、上記の労働者層の職を奪ったとして、メキシコ、中国などの外国を敵視する発言を繰り返している。

 

彼の主張が正しいかどうかは別として、実際、トランプは本当に彼の公約を実現できるのだろうか。

 

トランプ対経済学の戦いは続く。

 

f:id:trailblazing:20170316065756p:plain



経済学は、トランプ大統領の思い付きによっては、本当に彼の支持者たちに雇用を取り戻すことはできないと一様にすげない。

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

さらに彼らの雇用は、供給面で、海外からの挑戦を受けているというよりは、需要者である米国企業から求められなくなってきているという赤裸々な事実をつきつける。

 

(その意味では、彼らが「黄禍論」ではなく「ラッダイト運動」に走るならばまだしも理解できるのだが。と余計で危険な脇道に逸れるのはこのくらいにする。)

 

本来の雇用を生み出すためには、今、労働市場によって求められるスキルを教育、トレーニングを通じて、労働者が身に着けるしかないのだと。しかしこれはこないだのマンキュー教授ならずとも、言うは易く行うは難しであることはよくわかる。

 

雇用を生み出すためという目的が教育、特に高等教育の現場で前面に現れるようになって久しい。

 

大学自らが、自分のアイデンティティ職業訓練の場にせざるを得ない状況に追い込まれている。そしてこれが、文系軽視、理系重視というお定まりの短絡思考へと繋がっていく。

 

本日の日経にフィナンシャルタイムスからの転載の教育に関するコラムがあった。

 

米教育改革 労働力育つか

グローバル・ビジネス・コラムニスト ラナ・フォルーハー

 

http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20170316&ng=DGKKZO14118140V10C17A3TCR000

 

『米国には2種類の労働市場がある。博士号を持つ人向けの豊富な求人と、単純労働しかできない人向けの、もっと多くの仕事だ。ところが、その中間の仕事があまりない。これは、経済が主に個人消費で成り立つ国に生じる問題だ。

 

 トランプ米大統領は、こうした中間層の雇用を取り戻すと公約し、当選を果たした。だが、トランプ氏がグローバル化の流れを反転させ、技術の進化に伴い仕事の内容がどんどん変わる流れを反転できたとしても、英語対応のコールセンターやプログラミングといった仕事が海外に流出してしまうという米国が今抱えている問題の解決にはならない。つまり、現在必要とされている職業スキルと労働者の間に存在するギャップをどう解決するかという問題だ。』

 

しかし問題は、人間の能力というものは、促成栽培できないということである。大学は深い意味での人間の形成の場、今後長い期間生きていくための、地力を蓄える場であるという考え方は、現実的ではない、甘っちょろいリベラルアート的戯言だと考える人々からすれば、「聞き飽きた」となるのかもしれない。

 

『 今進めている仕事に結びつくような教育が目指すのは、1970年代に崩壊した産学協同の取り組みの再構築だ。当時、リベラルな改革派は職業教育に力を入れることは人種差別的で、かつ階級の固定化につながると主張し、この種の教育を廃止に追い込んだ。彼らは、人はみな溶接などより米小説家メルビルを学ぶ権利があると考えたのだ。』

 

文系としての「甘っちょろい」生活を長年送ってきてしまった身としては、今更ではあるが、溶接というような手仕事への抽象的なあこがれがある。(エリック・ホッファーへの憧れと言った方がいいか)でもやっぱり若い時にメルビルを読む必要性というものに一票入れたくなる。

 

f:id:trailblazing:20170316065524p:plain

 

現代という時代の気質 (晶文選書) | エリック・ホッファー, 柄谷 行人 |本 | 通販 | Amazon

現時点で、需要がある仕事を得るために必要な能力と小説を読み、自らの人生を考えるということを二項対立的にとらえることには違和感がある。

 

今ある労働市場需要に完全にコミットした自己形成は、こんな変化のスピードの速い時代には、むしろ自殺行為だと思うからだ。

 

僕が希望する教育とは、世の中の急激な変化の中で、生き残るために役に立つあらゆるもののブリコラージュ(寄せ集め、器用仕事)である。

 

当然、海の中での生き延びるための戦いの顚末に読みふけることの、今日の意味はわからない。しかしなんとなくいつか役に立つだろうと、背負った頭陀袋にとりあえず、放り入れておくぐらいの軽さで長く続けるのがいい。

 

コラムの中で、トランプ政権の顧問で、新しい労働力訓練計画を推進するIBMのCEOジニ・ロメッティの活動が紹介されている。

 

『 この議論が再び浮上している、とロメッティ氏は言う。将来の多くの仕事は、文系や理系の学問と職業スキルという従来の分類の中間に来るものだからだと同氏は説明し、そうした仕事を「(ホワイトカラーでもブルーカラーでもない)ニューカラー」と名付けた。

 2年間の準学士レベルの教育を受けて高度に訓練された機械工なら、二流、三流の4年制大学で政治学を学んだ大卒を軽く超える初任給を得られるようになるだろう。

 

 オンライン教育が盛んになれば、4年制の学位を得るために多額の負債を抱え込む必要はなくなる。教育は、個人の必要に応じて細分化されるべきだ。メルビルは自分で読むこともできる。あるいは、ハーバード大学教授による「白鯨」の講義をストリーミングで視聴することもできるし、大人数のオンライン講座に参加してもいい。』

 

 

このコラムの中の新しい教育を模索する人の、オンライン教育云々というあたりはどうも浅くて、古臭い大学組織への妙な憧れに縛られている僕には好きになれない。企業人が「偉そうな顔」をして高等教育に口を出すという風情が大嫌いだという僕の頑固な偏見のせいもある。

 

しかし、ともかく、人間の仕事、生き残りというものは、マニュアルに沿った勉強というよりは、なんとなく気になることをとりあえずやってみるという「たゆまぬいい加減さ」の中で案外身に付くものだというのが実感だ。そしてそれ以外のベストプラクティスはないと断定してもいいくらいである。

 

安倍晋三の地力が試される時

2017年3月15日(水)10℃ 雨のち曇り

114.691 ¥/$


安倍一強を事実として支えている国民心理は複雑である。

 

f:id:trailblazing:20170315080827p:plain

安倍晋三という政治家の能力の多くの部分は岸信介安倍晋太郎という、一子相伝の巨大な政治テキストに因るものだ。

 

彼が凡百の二代目、三代目とは違うのは、日本の戦後史の根幹を貫く日本の国としての生き残りの中で磨き上げられた比類ない経験値の集積に対する特権的な近さの故なのである。自らの意志というよりは、宿命がここまで彼を運んできた。

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

この血縁は、むしろ、外交という面における安倍という政治家に対する国民の信頼を支えている。これが安倍晋三に対する国民の支持の一つの柱だ。

 

経済に関して言えば、日本にも世界の先進国動向にならって、官僚国家に対する強い不信感がある。スティーブ・バノンのように行政国家、官僚支配の粉砕とまで事挙げする政治家こそいないが、自民党政権の、財務省を代表とする官僚への過度な依存に対する日本人のポピュリズム的不信は静かに高まっている。官邸主導という形で、官僚支配を超えようとする安倍政治に対する心情的支援の二つ目の源泉がここにある。

 

伝統的な右派、左派という軸ではない、エリート支配に対する下からの反発という意味での日本のポピュリズム心情を安倍晋三という政治家はこれまでうまく吸収してきた。

 

国民心理などというのはやめにしよう。この二点に関しては、安倍の方向性を自分も受け入れてきた。

 

しかしここから先は厄介だ。

 

安倍晋三という政治家が、一子相伝という形で得られる特権的テキストはほぼ使い切られているからだ。

 

この教科書のない世界では、自らの自助努力と、ここまで築き上げた彼の世界観が試されることになるのだ。

 

政権維持のための、極右的勢力との安倍晋三固有の関係性は、以前から、政治家としての彼にとっての最大のアキレス腱だと考えてきた。

 

極右的言説自体を全否定する気はない。世界を見渡しても、それを否認することは、それを野放しにすることと同じだからである。

 

しかしナショナリズムという厄介な概念を弄ぶには、彼及び彼を取り巻く者たちの、固有の世界観の薄さは致命的と言える。この分野においては、知的インテリの集まりであるニューヨークタイムスなどの既成メディアが全力を賭けて対決しようとするスティーブ・バノンやそれを支えてきた右翼思想の厚みは存在しない。

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

安倍の極右への「安易なリップサービスであった人材」が、今、国会におけるその振舞において、文字通り馬脚を露し、安倍政権の基盤を揺るがしはじめている。

 

この領域において、有権者を舐めてはいけない。

『戦後日本に九条が定着したのは、それが新しいものではなく、むしろ明治以後に抑圧されてきた「徳川の平和」の回帰だったからではないか。だから、こういってもいいのではないか、と思います。内村におけるキリスト教が武士道の高次元での回帰であったように、戦後の憲法九条はいわば「徳川の平和」の高次元での回帰であった。したがってそれは強固なものになったのだ、と。』

柄谷行人 憲法の無意識)

 

f:id:trailblazing:20170315080604p:plain

憲法の無意識 - 岩波書店

 

安倍の強みは、その「機会主義的」なところにある。外交、経済においては、一子相伝のテキストの存在によって、彼の動きは、同時代において比べるもののない政治家としての凄みとして、国民のリアリズムに訴えた。ある意味、「隠れ」安倍とでも言うべき国民のリアリズムが、安倍一強を支えてきている。

 

今回の国会における「馬脚」は、安倍の世界観の薄さを露呈してしまった。

幸か不幸か、日本国民の「憲法の無意識」に戦えるほどの代物ではなさそうだ。

いずれにせよ、独り立ちした安倍晋三という政治家の地力がここで試されることになる。

 

jp.wsj.com

 

スティーブ・バノンを突き動かすものは何か(What Does Steve Bannon Want?)

2017年3月14日(火)12℃ くもり時々雨

 

114.827 ¥/$

トランプ個人の動向に対する世の中の関心も少々薄れてきたような気がする。一般論に逃げるのはやめよう。トランプ個人をいくらひっくり返しても、何も出てきそうにもないことがわかってきて、僕も少々飽きてきた。さすがに彼のリアリティショーもシーズン2を見る気はしない。しかしトランプ政権から逃げることは当面できそうにもない。

 

4年間持つにせよ、持たないにせよ、その動向と方向性から目を離すべきでないからだ。

 

f:id:trailblazing:20170314112606p:plain



トランプの薄さの裏側に、バノンという重さがある。インテリによって構成されるマスメディアも、さすがに、敵にしても似たモノを求めるのか、バノンに対する関心は高まる一方である。このあたりは、異形とは言え、一種の知的エリートであるバノンの方が敵視という形での敬意(脅威)にふさわしいということなのかもしれない。

 

Reflections on the Revolution in Europe Immigration, Islam, and the Westという著書のあるChristopher Caldwellのバノンは何がしたいのかという内容のコラムが読み応えがあった。

 

f:id:trailblazing:20170314111544p:plain



https://www.ft.com/content/106c266a-35dd-11de-a997-00144feabdc0

差別主義者、反イスラム、女性蔑視という今外部からのレッテル貼りだけではバノン氏を突き動かすものが何かを決して理解できない。彼が今標榜する政治的イシューが何かではなく、彼は一体どんな人間なのかということを知ることの方が、バノンを巡る懸念を直視する上では重要だと主張している。

 

彼の履歴にも若干触れた面白いコラムだった。

 

What Does Steve Bannon Want?

スティーブ・バノンは何がしたいのか

https://www.nytimes.com/2017/02/25/opinion/what-does-steve-bannon-want.html

(以下意訳。厳密性に保証なし)

 

政治というものを体系的なイデオロギーという観点から見ようとする人にとってはトランプ大統領は厄介である。彼は、自分のアジェンダを体系的に説明しようという傾向がないというか、できないからだ。

 

このためスティーブン・バノン首席戦略官がやり玉にあがることになる。

 

理由は、彼が、体系的に物事を考える才能があると思われているからだろう。反トランプ陣営はバノン氏を政敵として見るだけではなく、トランプ氏の考えていることを探る探針としての役割も期待しているのだ。

 

トランプ主義などいうものはおそらく存在しない。我々がぎりぎり理解できそうなのは、バノン主義とでもいうべきメッセージ群なのだ。

 

バノン氏(63歳)は彼の異端の履歴、すなわち海軍将校、ゴールマンザックスのM&Aスペシャリスト、エンタテインメント業界の投資家、ドキュメンタリーの脚本家、監督、ブライバートニュースにおける有能なサイバーアジテーター、そしてトランプ氏の大統領選挙におけるCEOというすべての職歴において、凄まじい知力を見せつけてきた。

 

ハーバードビジネススクール時代のクラスメートは、ボストングローブの取材に答えて、「クラスの中でトップ3の知力を持ち、おそらくはもっとも賢かった」と答えた。

 

ローマカトリックの組織である人間の尊厳教会(The Institute for Human Dignity)のBenjamin Harnwellは、彼を「歩く参考文献リスト」と読んだ。

 

バノン氏は保守主義に関しては遅咲きで、政治に全力を投入したのは、911の攻撃以後だ。そのため、自分の同世代の保守主義者たちが遠い昔に失くした情熱で保守思想に取り組んでいるようだ。

 

トランプ政権入りして1か月で、バノン氏はその影響力を証明した。大統領の就任演説の草稿作成を支援し、米国家安全保障会議の中の重責を獲得し、現在、据え置きになっているものの、ムスリムの影響の大きい7か国からの入国禁止令の主唱者であると報じられている。トランプ政権はムスリム同胞団をテロ組織として取り扱っているという報道がなされた。これは、バノン氏自身が、脚本家、トークラジオのホストとして長年にわたって主張してきた考え方を反映している。

 

外部からのコメントは皆、バノン氏を、コミックの敵役の悪漢、インターネットの悪魔、偏見の塊、反ユダヤ主義、女性蔑視、隠れファシストとみなしている。元下院議長(House Speaker)のナンシー・ペロシニューヨーク州民主党議員のJerrold Nadlerは、バノンを白人至上主義者とまで呼ぶ。彼の強硬な保守派、厄介な過激派を示す証拠が、多数メッセージとして発信され、誤読され、炎上している。

 

バノン氏に対する懸念に十分な理由があるのは当然だ。しかしこういた懸念には的外れなところがある。バノン氏が20世紀のイタリアの過激派Julius Evolaのことをたまたま知っていたからということでファシズムとみなすことができるわけではない。

 

バノン氏がブライトバートを、「オルトライトのためのプラットフォーム」と言ったからといって、彼が差別主義者だというわけでもない。オルトライトというのは、特定の白人至上主義者だけではなく、より広い種類の過激派に対して適用される広く、しかも、不正確な用語なのである。

 

バノン氏が保守派の大会であるCPACの2013年と2014年の大会に、どちらかと言えば、敵対的といえる、招かれざる客というパネルのホスト役になったからといって、小物的印象を与えたわけではなく、むしろイデオロギー上の黒幕感を漂わせたという方が正しいようだ。

 

バノン氏のパネルには、主流派の、元議会議長のNewt Gingrichやブッシュ政権の元司法長官のMichael Mukaseyなどが参加しており、軍事的準備、リビアベンガジでの米国の派遣団への2012年の攻撃等が共和党がこだわる馴染み深い論点を議論した。しかしある意味、Foxニュースを見ているのとさほど変わりはなかったともいえる。

 

バノン氏が最近の共和党主流派と大きく方向性が違うのは、彼の包括的なナショナリズムにある。

 

彼は国家主権、経済的ナショナリズムの賞揚、グローバル化への異議申し立ては、英国のEU離脱派や多国籍主義のEUに敵対するグループと共通の土俵に立っている。

 

木曜日に開催された今年のCPACで、「米国はボーダレスな世界における単なる経済単位以上のものである」がトランプ政権の政治哲学の中核であると宣言した。曰く、米国は単一の文化と存在理由を持つ国民国家(Nation)なのだ。

 

バノン氏のイデオロギーの源の一つは、トランプ氏人気と同様に、グローバル経済に対する国民の絶望の中にある。

 

曖昧なトランプ氏とは違って、バノン氏には、アメリカの国家主権がどのように敗北し、それについてどうすればいいのかについての、詳細な私見があり、外部に対してしっかりと説明ができるのだ。

 

この点については、Tea Partyの活動家と考えを共有している。規制を実行する政府官僚がアメリカ国民固有の民主主義的特権を奪っているという考えだ。この官僚階級が今や官僚国家を公正し、自分自身の力をさらに増し、仲間の資本家たちの懐を温かくさせているというのが彼の考え方である。

 

バノン氏が木曜日に、会場内で、官僚国家(administrative state)の解体を宣言した。外部者からはたわごとに聴こえたかもしれないが、参加者にとっては会場全体に、高い電流が流れる強烈な、信仰告白として響いたのである。一連のノスタルジックな嘆きや不平不満に陥っていた保守主義を、トランプ主義の下で、実行性のあるプログラムへと全面的に作り替える改修工事の責任者がバノン氏なのだ。

 

バノン氏は、Tea Party的レシピに、彼固有のパーソナルでユニークな隠し味を付け加えている。彼の考え方のベースにはシンプルで、優美というか、ある意味、危険なほど単純化されている、歴史的サイクル理論がある。

 

これは1990年代にWilliam StraussとNeil Howeによって組み立てられたモデルである。それによれば、80年から100年のサイクルが、約20年間の高度期、覚醒期、解体期、危機に分かれて繰り返されるというものである。

 

f:id:trailblazing:20170314111721p:plain

Amazon CAPTCHA

 

アメリカ革命、南北戦争ニューディール第二次世界大戦の後、我々は現在、もう一つの危機に直面しているのがバノン氏の長年の主張である。

 

2010年に発表された、彼の2008年の金融崩壊についてのドキュメンタリー、Generation0は、Strauss-Howeモデルを使って、何が起こったのかを解明している。Howe氏自身も、ドキュメンタリーの中で「歴史には季節変動があり、もうすぐ冬がやってくる。」と結論づけている。

 

バノン氏の見解は、過去10数年における保守主義の変化を反映している。

 

彼はこの変化を追いかけるためにその後も、映画を撮り続けた。2004年のドキュメンタリー、“In the face of evil”は共和党の英雄ロナルド・レーガンに対するオーソドックスな賛辞である。しかしその5年後の “Generation 0”は, それ以外のものも混じりあった奇妙な混合物となっている。

 

金融崩壊に対する彼の分析も単純ではない。映画の中で、当然、大きな政府に対して苛立つシンクタンクのサプライサイダーの論客や自由市場主義者とのインタビューが行われている。ただ、対象はそれだけにとどまらない。それに加えて、新しく、正統的とは言えない、保護主義的ニュースキャスターのLou Dobbsや投資運用マネジャーのBarry Ritholtzの意見もさらりと取り上げられていた。彼らは、自由市場が本当に、すべて自由かどうかを疑問視している。Ritholtz氏は、金融危機の帰結は、「富裕層に対する社会主義で、それ以外の万人にとっての資本主義」が行われたと主張している。

 

2014年頃にはバノン氏自身のイデオロギーの中心に、この不信感が置かれることになった。Institute for Human Dignityの開いた対談で、彼自身の資本主義に対する考え方を述べている。

 

「資本主義について考えてみよう。2008年の危機に関連して訴追された銀行の経営者は一人もいない。」彼はアイン・ランドリバタリアン資本主義の客観主義派に対しても批判している。彼らの考えでは、「資本主義は、人々を商品とみなし、人を物的なものとしてとらえられている」。資本主義は、そうではなく、ユダヤキリスト教的基礎の元に築かれなければならないのだと。

 

f:id:trailblazing:20170314111840p:plain

Amazon CAPTCHA



バノン氏の言い分が正しいとすれば、共和党にとっては少々まずいことになる。

 

バノン氏の発言までは、アイン・ランド型の資本主義は、レーガン時代のアジェンダの名残だった。自由市場的思考は、共和党を丸ごと呑み込みつつある。にもかかわらず、そこにユダヤキリスト教への没頭(一つの文化のある国家、国家の存在理由などの考え方)が、加わるのである。その上、共和党に巨額の政治献金を拠出した人々の望むのはビジネス志向の姿勢なのである。

 

しかしこういった姿勢に対して有権者は決して寛容ではないだろう。共和党において、雇用とコミュニティを、利益に優先させた最初の大統領候補は、1992年のパット・ブキャナンである。当時は、これが社会に対するよりよいビジョンなのか、単なる反動主義者の不平不満なのかを巡って、共和党内がもめにもめることになった。ブキャナン氏がこの論争に勝利するのに一世代かかったと言える。

 

2016年になると、以前は正気の沙汰ではないと片づけられていた貿易と移民に関するブキャナン氏の考え方が、急速に広まり、共和党全員が認めるまでになっていた。これを拒否したのは、既存の官僚群と、エスタブリッシュメント寄りの大統領候補だけだった。

 

ユダヤキリスト教文化とは何かを、バノン氏はあまり詳細に説明していない。しかし一つだけ明らかなことがある。イスラムがこれに該当しないということだ。バノン氏は、イスラム主義(Islamism)という過激派政治運動が危険な敵であるという認識を大多数のアメリカ人と共有している。彼の考え方がさらに論争を呼ぶのは、この政治運動がイスラム地域で発生して以来、宗教としてのイスラムの存在が大きくなり、アメリカの本来持つべき国家的権威を脅かしているという考え方である。これは、ジョージWブッシュ、オバマ両大統領ともに拒否してきた考え方である。

 

 

バノン氏のこういった見解は、決してバランスが取れているとは言えないが、徹底した多読に由来していることは明らかである。彼が熟読した思想家たちは、冷静で、対象から一定の距離を置くタイプというよりは、かなり熱狂的で、論争的な人々だった。

 

例えば、国務省は、事実上、イスラム至上主義者によって運営されていると主張したグランドゼロモスク反対運動を主導する扇動家のPamela Geller、彼女とも時折共同戦線を張る、Robert Spencer(Jihad Watchというウェブサイトの運営者)などが含まれる。

 

GellerとSpencerは、米国のイスラム化阻止という名前の組織のリーダーである。

 

さらに元国家安全保障省の役人だった、Philip Haney. 彼は、オバマ政権の管路湯たちが、政治的公正性(Political correctness)というイデオロギーを厳守することで、一般市民の安全を危うくしたと批判している。

 

トランプ大統領は、インテリの間で不人気なので、彼の政権を支える思想家たちは、みなある意味で、非妥協主義者、反抗者、個人主義者の集まりになっている。これまでのところこのことが米国にとって意味のあるものとはなってはいない。

 

間違いなく、ワシントンはバノン氏にとって敵対的な環境となった。ワシントンの政策テクノクラートは、バノン氏が乱入し、簒奪した政権に職を得ようとすると、多くの間違いを呑み込み、信念を大幅に曲げるというような高いコストを支払わねばならないことになっている。

 

トランプ大統領も人気投票で過半数を占めることができずにいる。エスタブリッシュメント側の保守派も、自分たちの嫉妬心を、バノン氏が人付き合いが悪く、危険であると考えるのが節操のあることであると取り違える傾向がある。

 

彼は本当にそういう人物なのだろうか。昨年、歴史家のRonald Radoshが、後にバノン氏は否定したものの、数年前のバノン氏の以下のような発言を紹介して、彼のイメージ作りに多いに貢献した。曰く、「自分はレーニン主義者であり、あらゆるものを破壊する」である。

 

 

1990年代の初めからバノン氏と共同で脚本作成を行ってきたJulia Jonesによれば、「バノン氏のイデオロギーだけでは、彼を突き動かすものすべてを捉えることはできない」と言う。15年近く、共同で脚本を作成してきた彼女は、そのキャリアの方向性が一貫しているとは言えないバノン氏が長く働いたことのある数少ないパートナーである。

 

彼の世界観を理解するための鍵は、兵役にあるという。「彼は兵役というものに高い敬意を持っている。」さらに「彼はダルマという言葉をよく使う」のだという。出典はバガバットギータだったと彼女は記憶している。ダルマは、人生において辿る道、あるいは宇宙における自分の居場所を説明する概念だ。

 

ハリウッドに来た当時のバノン氏はあまり政治的ではなかった。2年間で、二人は26回のテレビシリーズを製作した。自己の秘密を探る人々というテーマで、対象は、コナン・ドイルニーチェ、マダムBlavatsky, ラーマクリシュナ、Baal Shem Tov, ジェロニモと、多岐にわたった。一種の人間のコレクション作りのような番組作りだったという。

 

911のテロ攻撃が、彼を変えた。その後、政治に一気にのめり込む中で、ハリウッドにおける二人のパートナーシップは終了したという。彼の作る映画の「プロパガンダ的トーンが私には少々攻撃的すぎるように思えたから」だという。

 

ジョーンズ女史は文学的で、政治においてはリベラル左派に属する。彼女は、バノン氏が「ナショナリズムの中に自分の居場所を見つけたことを」残念に思っている。しかし、彼女曰く、彼はアナキストでも、差別主義者でもない。

 

バノン氏のイデオロギーの部分にフォーカスしている人々は全くの的外れである。バノン氏に対する懸念にはもっともな理由があることは認めよう。

 

しかし懸念すべきは、様々な論点に関して彼がどのような立場にあるかということよりも、彼がどんな人間かということの方だと思われる。

 

彼は政治権力の世界では新参者である。実際、政治に関心を持ったのも比較的最近のことなのである。彼は、権威を破りたいと考えている。前世紀の遺物と化したイデオロギーのどれも肯定はしないが、歴史のサイクルという考え方には親近感を感じていて、丁寧に言えば、未だその有効性が試されていないと考えている。

 

より重々しく言えば、彼は、グランドセオリーによって刺激を受ける政治におけるインテリなのだ。そしてこれまでの予測不能な結果を生みだしてきたのが、この組み合わせなのである

( He is an intellectual in politics excited by grand theories- a combination that has produced unpredictable resulMost ominously, he is an intellectual in politics excited by grand theories- a combination that has produced unpredictable results before.)

 

この組み合わせがこれから何を生み出すのだろうか。

 

バラク・オバマも同じような形で、歴史の方向性や円弧(arc)について言及していた。

 

バノン氏の見解の循環性に内在する緩和的要素を期待するものもいるかもしれない。歴史が概ね線形であると信ずる進歩主義者は、政治に関わると不死性を巡る聖戦を戦いだしかねない。歴史は循環的であると考える保守派は、今後の20年か80年ぐらいの期間をなんとかすることに集中する。彼らの任務もその意味で、他の仕事と同様に未了が前提なのである。(以上)